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聖徳太子霊跡

寺院
専用御朱印
巡礼中865人

概要

聖徳太子の建立した寺々や太子廟をはじ文字どおり文字どおり太子ゆかりの28か寺を巡拝する霊場。大阪・兵庫・京都・奈良の広範囲にわたり、文字どおり古寺名刹で構成されている。
1番四天王寺は聖徳太子を開山・開基とし、推古31年(623)ごろに完成した古寺。建立に際して創立された四か院(敬田・悲田・疫病・施薬)に見る太子の精神は今日なお受け継がれていて、天王寺病院や養老院・保育所・母子寮などの社会福祉事業に実践されている。
3番道明寺は太子を開基とし、当地の土師連八島の邸宅を寺に改めたと伝える。本尊の十一面観音像は菅原道真36歳の作といわれ国宝。また「十六歳御影」といわれる聖徳太子像は重文である。
5番野中寺は太子の命により蘇我馬子が造立した寺。6番叡福寺は太子の霊墓の守護と追福のため建立された寺。7番世尊寺は推古 3年(595)太子を開基として、大阪湾に漂着した樟の霊木より推古天皇が百済の仏工に本尊を刻ませたことに創まると伝える。
8番 橘寺は太子が推古天皇のために『勝鬘経』を講説した地に建立されたと伝える寺。10番金剛寺は鞍作部多須奈が用明天皇の病気平癒のために建てた寺。11番飛鳥寺(安居院)は大臣蘇我馬子が推古4年(596)に開基した寺である。
14番法隆寺は推古15年(607) に太子を開基として開創された名利。天智9年(670)に焼失、現存の堂塔はそれ以後の建立だが、世界最古の木造建築といわれている。国宝や重文など数千点の寺室を有する。金堂・中門・五重塔・東院夢殿、大講堂、鐘楼・経蔵など七堂你藍のことごとくが国家であり、また彫刻では百済観音・数世観音・夢達観音などの国家像が著名。
昭和25年(1950)に太子を本願として聖徳宗を開宗し、その本山でもある。
15番中宮寺は太子の母・穴穂品間大皇女の菩提のために太子がその宮を寺に改めたことに創まるとか、太子がその宮を寺に改めたことに創まるとか、太子を追慕した妃の橘大郎女が創建した寺と伝える。
16番法輪寺は太子の命により太子の長男・山背皇子らが建立して太子の薨後に太子の妃を壇越にしたとか、法隆寺炎上の後に百済の開法師・円明法師・下氷君雑物の三人が造立して太子姫の後裔である高橋朝臣が住したと伝える古寺。
17番法起寺は太子の長男・山背皇子が太子の遺命により岡本宮(大子の別宮)を寺にしたものと伝える。国宝の三重塔で知られる。18番成福寺はもと太子の宿坊とか、華垣宮跡に建てられた寺と伝える。
20番信貴山朝護孫子寺は太子が物部守屋の討伐に向から途次、当山上で毘沙門天を感得して勝利を祈願し、守屋を討つことができたので、ことに毘沙門天を祀ったことに創まると伝える。国宝の「信費山縁起」はあまりにも有名である。信貴山真言宗総本山。
23番大安寺は太子の発願により平群郡熊凝村額田郡に一精舎を建立し、熊凝精舎と称したことに創まるといい、その後当地に移転した。
24番広隆寺は渡来人である秦氏の後裔・秦河勝が太子から賜った仏像を安置するために、推古30年(622)その居住地に造立し寺き。本尊の聖徳太子像(重文)初め寺宝も多く、特に弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)は有名。真言宗御室派大本山。
26番中山寺は太子が神功皇后と不和になって殺害された仲哀天皇の大中姫とその息子たちを祀った寺、また物部守屋の霊を鎮めるために建てた寺といわれる。真言宗中山寺派大本山。西国観音豊場の24番札所でもある。
27番鶴林寺は物部氏の排仏を逃れてこの地に来た高麗の僧恵便のために、 太子が創建した寺である。新西国観音霊場の27番札所でもある。
なお、霊場表中の「納経題字」は各と聖徳太子の縁を端的に物語っている。
(当霊場は平成16年現在、活動を停止している。)

引用:公式サイト

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