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慈尊院ではいただけません
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じそんいん

慈尊院のお参りの記録(1回目)
和歌山県九度山駅

投稿日:2020年12月19日(土)
参拝:2020年12月吉日
女人高野・弘法大師母公の寺、古くから女性に深く親しみのある寺として有名。
高野山開創時に公家や幕府の家政・政務・財政を司った機関であり、中世から近世にかけて一大勢力だった高野山の中枢である政所が置かれていた場とされています。
1540・1544年の紀ノ川の氾濫により塔堂が流され紀ノ川床となったと。
当時の慈尊院は今の場所より北側にありましたが、弥勒堂だけは今の場所に移してあったと。
大師は月に九度は必ず高野山より二十数キロもの山道を下って母公を訪ねられたので、この地名を九度山と称されるようになったと、それだけ頻繁にということでしょうね。
慈尊院の建物その他
表門横の土塀、一見手入れがなされていないように見えますが、砂入りの粘土を突き固め積み上げた技法で、県文化財になっており境内周囲250メートルにおよびます。
慈尊院の塔
多宝塔 室町時代後期の三重塔から江戸時代前期に多宝塔に造り替えられた、貴重な建造物だそうです。
慈尊院の本殿
本堂に見えますが拝堂です。
慈尊院の本殿
本堂弥勒堂前え。お堂自体が弘法大師の母公の霊廟であるため、大師を産んでくれたお母さまにお願いすれば願いが叶うと、安産・授乳・育児を願う乳房の民間信仰によりいつしか今の風景に。
秘仏の木造阿弥陀如来像の御開帳は21年に1回、大師の命日が21日にちなむと。
慈尊院の建物その他
官省府神社へ向かう階段の横に180町石があります。慈尊院から高野山へと通じる180町(1町は109m)の表参道・高野山開山のおり空海が木製卒塔婆を建てて道しるべとしました。
鎌倉時代にには覚きょう上人の発願により20数年かけ、朽ちた卒塔婆の代わりに石造の五輪塔形の町石が一町毎に建てられた。
空・風・火・水・地の五要素を宝珠・半月・笠・円・方形に形どったものが五輪塔で梵字で空風火水地を意味する言葉が刻まれており、かっては町石ごとに足を止め祈りを捧げたといいます。
現在も山中の寺社に多くみかけますが、様々ですね。

すてき

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