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いどじ|真言宗善通寺派瑠璃山(るりざん)

井戸寺の編集履歴
2020年07月10日(金)
徳島県 府中駅

さささんのプロフィール画像
ささ
2020年07月10日 20時13分

緯度

34.085090145322305

編集前:34.0849999

経度

134.48552426234656

編集前:134.4850418

ふりがな

いどじ

ご由緒

7世紀後半の白鳳時代は、清新な日本文化が創造された時期で、律令制もようやく芽生えて、阿波の国にも国司がおかれた。この国司に隣接して、天武天皇(在位673〜86)が勅願道場として建立したのが井戸寺であり、当時の寺名は「妙照寺」であったという。寺域は広く八町四方、ここに七堂伽藍のほか末寺十二坊を誇る壮大な寺院があり、隆盛を極めたと伝えられている。本尊は、薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で、聖徳太子の作と伝えられ、また、脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。のち弘仁6年(815)に弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れたとき、檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置されている。この像は、右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿形で、現在、国の重要文化財に指定されている。大師はまた、この村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出した。そこで付近を「井戸村」と名付け、寺名も「井戸寺」に改めたという。

ただ、南北朝時代以降の寺史は激変する。まず貞治元年(1362)、細川頼之の兵乱で堂宇を焼失し、次いで天正10年(1582)には三好存保と長宗我部元親との戦いでも罹災している。江戸時代に本堂が再建されたのは万治4年(1661)であった。 七仏薬師如来は全国でも珍しく、七難即滅、七福即生などの開運に信仰が多い。

アクセス

徳島線 府中駅下車(1.5km)
徳島バス 竜王団地線(日開経由)「井戸寺口」下車(0.3km)
16【観音寺】より
(自家用車)約20分 約4km
(徒歩)約50分 約3km
18【恩山寺】より
(自家用車)約1時間 約14km
(徒歩)約4時間20分 約19km

参拝時間

7:00~17:00

駐車場

仁王門付近 普通30台 マイクロ5台 大型5台(無料)

御朱印

あり

トイレ

仁王門の横、本堂左奥

山号

瑠璃山(るりざん)

院号

真福院(しんぷくいん)

創立

白鳳2年(673)

創始者/開山・開基

天武天皇

巡礼

四国八十八箇所第17番

行事

旧暦3月21日 正御影供
毎月28日 不動護摩

文化財

木造十一面観音立像(重要文化財)
日光・月光菩薩立像、真言宗小野流相承祖師像一幅(徳島県指定有形文化財)

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