御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
高庵寺ではいただけません
広告

こうあんじ|曹洞宗大應山

高庵寺
栃木県 足利駅

パーキング
駐車場
あり

あり

御朱印について
御朱印
なし
ありません

その他の巡礼の情報

両野三十三観音霊場 第二十七番

高庵寺について

両野三十三観音霊場の第二十七番札所だが、御朱印領布はやめている

栃木県のおすすめ3選🎎

広告

おすすめの投稿

くし
2024年02月20日(火)
1450投稿

次はこちらの曹洞宗寺院。 ここはご覧のように見た目はごく普通の伝統的なお寺なんですが・・・

一通り参拝を済ませ、庫裏に向かったところ
「御朱印の取り扱いはございません ご了承ください」

・・・うん、知ってた(^^;
ここ両野三十三観音の二十七番札所になってて、10年前までは御朱印出してたらしいんですが・・・

ある観音霊場巡りの受印者が行ったところ、どうも住職は霊場よりも、寺にある古墳の方が「推し」だったようで、古墳の説明を詳しく始めた。
ところが受印者の方は古墳には全く興味がなく、あぁそんな話はいいから(´-ω-`)ノ 自分は観音霊場巡りで来ただけだから早く御朱印出して、とスルーしたらしい。
住職がこれにブチギレ+もともと「御朱印書くのメンドクセ(´д`)」とも思ってたようで、受印者に対して「霊場巡り?ふーん、すごいね(´<_`)」みたいなちょっとバカにしたような態度を取ったらしい。

真相はわかりませんが、少なくとも受印者はそう受け取ったようで、これをブログでグチっちゃって、
それをたまたま目にしたのかエゴサしたのか知りませんが、住職が見つけちゃって「こんなこと書かれたから御朱印やめるわ(´д`)」
・・・と、レスバのような経緯があって御朱印やめたそうで(-_-;)
まぁ住職自身がもともと面倒くさくて止めたがってたようなので「御朱印出さなくなったのはコイツのせいだからな」と、受印者に上手く責任おっ被せてダシにしたような気がしないでもないですがw

かなりぶっちゃけた住職のようで、以前はブログに、上記の「御朱印なんてマンドクセ(′A`)」も含めて、炎上上等!と言わんばかりの本音がいろいろ書かれてたw 
この事件の直後はよほど頭に来たのか「御朱印なんて何の意味もねーし、御利益なんてねえ(´д`)」みたいなことまで書いてありましたわ・・・坊さんがそれ言っちゃう?(^^;
御朱印の他にもぶっちゃけた本音がいろいろと・・・しかも恐ろしいのはそれに賛同、までは行かないが共感する僧侶も少なからずいたらしい((( ;°Д°)))ガクガクブルブル

一般の書店では売ってないが、仏教界の文春砲と呼ばれる「月刊住職」という雑誌があるそうなんですが、まるでそういうものを読んでるような気分だったwww
ちなみに寺のHPや住職ブログは現在は見つからず。受印者ブログの方は残ってますがリンクは載せません。興味ある方はググってみてくださいw
関係あるかどうかわからんけど、Google Mapのクチコミでも、同時期に全く正反対の評価が付いてたり・・・(^^;

まぁこういうことがあったので、自分も何か気に食わないと思われたらブログで何書かれるかわからん((( ;°Д°)))と、怖くて今まで参拝を避けてましたwww

高庵寺(栃木県)

山門

高庵寺(栃木県)

境内

高庵寺(栃木県)

参道右には御神木的な松が一本

高庵寺(栃木県)

本堂

高庵寺(栃木県)

本堂に向き合う形で石仏や鎮守社の祠が並んでます

高庵寺(栃木県)
高庵寺(栃木県)

水子地蔵尊

高庵寺(栃木県)

地蔵堂

高庵寺(栃木県)

堂内の延命地蔵菩薩

高庵寺(栃木県)

左の方に観音墓みたいのがあり

高庵寺(栃木県)

合祀墓と思われる千手観音

高庵寺(栃木県)

墓地にある勧農車塚古墳
「推し」の古墳のわりには1/3~半分くらいは削られてるが(^^;

高庵寺(栃木県)

墳丘上に住職墓が並んでます。
由緒を調べたら山川長林寺のもと末寺だったらしい

高庵寺の建物その他

HPやブログが消え、福住職のインスタしか見当たらなくなったので、代替りして御朱印に対する方針が変わったかと期待して行ってみたが、特に変わってなかったw

もっと読む
投稿をもっと見る(1件)
名称高庵寺
読み方こうあんじ
御朱印なし
電話番号0284-41-0437
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
SNS

詳細情報

ご本尊《本尊》千手観世音菩薩
《堂宇》地蔵堂
山号大應山
宗旨・宗派曹洞宗
創建時代天正年間(一説には天正十年(1582年)
開山・開基芳岷和尚
札所など

両野三十三観音霊場 第二十七番

ご由緒

高庵寺はもとは袋川の流域にあり、渡良瀬川に通じる交通の要衝に位置していたと考えられる。
文久二年(1862年)の寺史によると、開かれたのは天正年間(一説には天正十年(1582年)、芳岷和尚によよる開山とされる。
その後、元和年中(1615~1624年)、山川長林寺八世 雲樵祖養が再興したとする。
ただし祖養は元和三年(1617年)七月十三日に寂しているので、祖養の晩年、もしくは彼を勧請開山に迎えた可能性も想定できよう。
交通の要衝に位置した高庵寺を再興することにより、長林寺の末寺に組み込むためであったと考えられる。
万治年間(1658~61年)、大洪水で古書等が流失し旧い記録が失われる。
この後、五世良察により現在地に移転されたと記されている。ただし、世代表には良察の名はない。
十世超海和尚の代、寛政七年(1795年)に火災に遇うも、享和年中(1801~4)に本堂を再建している。
高庵寺に関する長林寺との住持の関係は、他の末寺と異なり雲樵祖養以外には確認できない。
(山川長林寺の資料より)

【勧農車塚古墳】
高庵寺境内にある、全長80m、後円部径40m・高さ?の前方後円墳。 墳丘は本堂や墓地で大きく削平されており、後円部の一部が残る。
5世紀半ばの古墳で、管玉や滑石製模造品(鎌形2・刀子形4など)が出土している。

体験札所・七福神巡り

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ