きたいん
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
喜多院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年09月25日(金) 20時15分51秒
想像以上に広大な寺院だった。Googleマップを舐めとりました。
それが、喜多院に来た素直な感想だ。
入口にあった像。
最初は、北野武さん?か!と思ってしまった。
イヤイヤ。天海大僧正という江戸時代の立派な僧侶で、実は明智光秀じゃないか?という説もあるのだ。
天海大僧正は会津に生まれ、比叡山・園城寺などで修行した。関ヶ原の戦い後、徳川家康の帰依を受け、幕府の宗教行政に参画した。
慶長17年(1612)、天海の進言により家康公は無量寿寺再興を認め、喜多院を関東天台宗の本山と定めて天海の在住を招請。これを受け、以後、関東の天台宗寺院はすべて喜多院・天海のもとに属することとなった。
108歳まで生きた天海大僧正が残した「気は長く 勤めは堅く 色うすく 食細くして こころ広かれ」という言葉は養生訓としてつとに有名。
想像以上の人混みであり、どんなに頑張っても他所の人が写りこんでしまう。というわけで、あまり写真を撮影出来ず。残念であった。
やはり、平日に、ゆっくりと時間をかけて観たい寺であった。
それが、喜多院に来た素直な感想だ。
入口にあった像。
最初は、北野武さん?か!と思ってしまった。
イヤイヤ。天海大僧正という江戸時代の立派な僧侶で、実は明智光秀じゃないか?という説もあるのだ。
天海大僧正は会津に生まれ、比叡山・園城寺などで修行した。関ヶ原の戦い後、徳川家康の帰依を受け、幕府の宗教行政に参画した。
慶長17年(1612)、天海の進言により家康公は無量寿寺再興を認め、喜多院を関東天台宗の本山と定めて天海の在住を招請。これを受け、以後、関東の天台宗寺院はすべて喜多院・天海のもとに属することとなった。
108歳まで生きた天海大僧正が残した「気は長く 勤めは堅く 色うすく 食細くして こころ広かれ」という言葉は養生訓としてつとに有名。
想像以上の人混みであり、どんなに頑張っても他所の人が写りこんでしまう。というわけで、あまり写真を撮影出来ず。残念であった。
やはり、平日に、ゆっくりと時間をかけて観たい寺であった。
すてき
投稿者のプロフィール
おりよ42投稿
歴史と旅が好きです。全国、歩き廻って小さい気づきを大切にしたいです。 「おりよ」は、池波正太郎先生の真田太平記に出てきますが、真田幸村の妻の名前です。 もちろん、史実では違うようですが。もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。



















