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高麗神社(埼玉県)

こまじんじゃ

高麗神社のお参りの記録(1回目)
埼玉県高麗川駅

投稿日:2026年09月26日(土) 15時12分15秒
参拝:2026年9月吉日
日高市に中心を置いたと考えられる高麗郡の始まりについて、続日本紀に「2年(716)5月、甲斐、駿河、相模、上絵。
下総、常陸、下野7ヶ国から高句麗人1,799人を武蔵国に移し、高麗郡を創建した」と記されています。この時、高麗郡の長となったと考えられているのが高麗神社の祭神で、高句麗からの渡来人であった高麗王若光でした。その後裔で、代々高麗神社の宮司を務める高麗氏系図には「若光が没すると都民はその威徳を讃
え、街殿の後山に霊廟を建て神霊を祀り高麗明神と称した」と当社の創建を伝えています。
日高市内には8世紀前半以降の集落跡や女影廃寺、大寺寺、聖天院の前身と考えられている高岡廃寺などの古代寺院跡や須恵器の窯跡といった高麗郡建郡以降の遺跡が数多く所在し、古代高麗郡の栄華を窺い知る事ができます。
高麗神社には12世紀(鎌倉時代)の「大般若波羅蜜多経」
(国指定重要文化財)をはじめ、高麗神社本殿(県指定文化財)、徳川将軍家社領寄進状(市指定文化財)といった有形文化財のほか、10月19日の例大祭に氏子によって奉納される獅子舞(市指定文化財)も伝えられています。また、高麗氏所蔵の文化財として
17世紀の建築といわれる高麗家住宅(国指定重要文化財)•
高麗氏系図(市指定文化財)があります。
高麗神社(埼玉県)
ユネスコ世界遺産に登録された(2004年)
高句麗古墳には、美しく楽しい壁画がたくさん描かれました。
その壁画の高句麗装束には「にじのスカート」や水玉模様に特徴があります。
そして日本の奈良、高松塚古墳の飛鳥美人も「にじのスカート」をまとっています。
高句麗と日本の「にじのスカート」をはく婦人像の共通性に、日本画家の平山郁夫先生も大変驚かれました。
また、日本の輪服にみられる水玉模様にも・高句麗壁画との関連を感じます。
高麗神社では、高句麗と高松塚の再現古代装束を並べ、”「にじのスカート」がむすぶ浪漫「古代装束絵巻」”を開催し、両国の交流の歴史を伝えています。
千数百年前の古代ファッションをお楽しみ下さい。
高麗神社(埼玉県)
高麗神社(埼玉県)
高麗神社(埼玉県)
高麗神社(埼玉県)
高麗神社(埼玉県)
高麗神社
ご
し
御神田
令和八年 御神田行事予定
〇十月十二日(予定)
収穫祭
〇十一月二十三日7時より新祭
この稲は、今和八年五月十八日、若光祭参和の皆さんに植えていただきました。若光祭は、子ども神輿とお田植えの行事で毎年5月に行っています。
小学生など子どもを中心として、(未熟学地でも保護者同体であれは多加可、となたでも参加できます。今後、実りを迎える十月十二日に収穫行事を予定しております。収穫したお米は十一月二十三日の新嘗祭に懸税として神様にお供え
します。
<若光祭
お田植祭の様子)
高麗神社(埼玉県)
高麗家は高麗神社の神職を代々勤めてきた旧家で、住宅は境内の隣接地にあります。建築年代は、慶長年間(1596~1615)と伝えられています。建築様式は古く、17世紀のものであることは確実であると指摘されています。
東日本の民家の中では古い形を遺している極めて貴重な例とされ、昭和46年(1971)6月に文部大臣により重要文化財に指定されました。永年の風雪に耐えて伝えられてきたものの、傷みがひどくなっていたため、昭和51年(1976)10月から昭和52年9月にかけて、建物の全解体による根本的大修理が行われました。現在の姿は、その修理工事の際に建設当初の姿を復元したものです。
高麗神社(埼玉県)
高麗家住先は高魔神社の神職を代々めてきた高麗氏の住宅です。建物の規模は精器14.8m、薬間9.5mをはかります。
屋根は大量通りて、等でいています。開取りはお楽と上間からなっています。表側にある「おもてさしき」は21年の板吸きで、押し板を備え、前面には格手窓を付けています。「四M」は「おく」の間の控えの間としての役割を持ち、「おく」には「とこ」が設けられています。「かって」の板の間にはいろりがきられ、土間の奥にかまどがあります。
建築年代は高麗家に伝わる文久3年(1863)の絵図面に、慶長年間(1596~1615)に建てられたとの伝えがあると
〇
記されています。昭和51、52年度に行った解体修理でも棟札などの建築年代を示す資料は得られませんでしたが、建築形式や構造手法からおよそ1て世紀後半頃と考えられています。
※押し板とは中世の座敷飾りで、壁下に作り付けた奥行きの浅い厚板をいいます。現在の床の間の前身と考えられています。
高麗神社(埼玉県)
高麗郡建郡千三百年高麗王若光 記念碑解説
高麗若光の会は、高尾郡建郡の歴史的意義と文化の研究継承を目的に2010年に結成されました。
私たちはこの郡を開拓した先人の遺徳と1300年の悠久の歴史に思いを馳せ、これからも未来永劫この地と東アジアの発展と平和を祈念しこの碑を建立いたしました。
『続日本紀』大宝三年(703)四月の条
乙米、従五位下高麗若光に王の姓を賜ふ。
この一文は大宝三年(703)に当社祭神高麗王若光が大和朝廷より「王(ごきし」を腸性された記事である。
社伝によれば、後に若光は高麗郡初代郡長となった。
『続日本紀』霊亀二年(716)五月の条
辛卵、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の七国の高麗人千七百九十九人を以て、武蔵国に遷し、高麗郡を置く。
この一文は高麗郡設置に関わる記事である。高句麗滅亡から四十八年を経て、土国に居住したチ七百九十九人の高麗人が当地に遠され高麗郡が置かれた。

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