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名称熊野社
読み方くまのしゃ

詳細情報

ご祭神家津御子神,速玉男神,熊野夫須美神
ご由緒

鎮座地の井沼方は、正保年間から元禄年間(一六八八-一七〇四)にかけて、柳崎村・中尾村と共に大谷口村から分村した。一部の沼地を除いて、村の大半が台地のため、用水の便が悪く、農業は天水に頼っていた。そのためにしばしば旱損に悩まされたという。
 口碑によれば当社の創建は、東京都北区の王子神社を勧請したものであるという。王子神社は元亨二年(一三二二)領主豊島氏が紀州熊野権現を勧請し、江戸期は将軍家の祈願所として知られた社である。その信仰は江戸と浦和宿を結ぶ中山道を通じてもたらされたものであろう。一方、親村である大谷口村にも熊野権現社が鎮座していることから、分村に際して、その分霊を祀ったとも考えられる。隣村中尾村の熊野神社の別当玉林院が天文二十二年(一五五三)に聖護院から下足立伊勢熊野先達衆分檀那職を安堵されていたことも当社の創立を考える上で参考になろう。
 当社の鎮座地は、かつて村の西端に広がっていた沼地のほとりに当たり、境内は沼に向かって緩やかに傾斜していた。また、境内の一角からは清水が湧き出て、沼へ注いでいた。用水の確保に苦心していた村人らは、常に水をたたえる沼に神霊を感得し、天水の確保を祈念して当社を祀ったのであろう。沼は、いつのころからか水田として利用され、更に昭和六十年に実施された区画整理で埋め立てられた。

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