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いわてさんじんじゃ

岩手山神社の御由緒・歴史
岩手県 雫石駅

ご由緒

岩手山は岩鷺山、霧山獄とも称せられ盛岡市の北西約二十四キロメートル雫石町、滝沢市、八幡平市
に誇り、巍然として聳立す。最高峰は薬師ケ嶽にして其の標高二千三十八メートルある。
岩手山は秀麗なる円錐形をなし八面玲瓏なる彼の富士山に以たるを以て奥の富士南部片富士等の称あり。奥州第一の高山であるため南部領民霊山として古来信仰の対象としてきた。
 桓武天皇の延暦年中、坂上田村麻呂将軍東夷征伐の時、山中に伏匿する賊徒赤頭の高丸を誅し、民害
を除き人々を安堵させる為、宇迦(うかの)御魂(みたま)神(のかみ)、大穴牟遅(おおなむち)命(のかみ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)の三神を勤請し、将軍親しく祭祀した。
後、国土鎮護のため崇敬したと伝えている。
文治五年九月、源頼朝、藤原泰衡征伐の際、工藤行光岩鷺山大権現の冥助により大功をたて、岩手郡を賜わり、岩鷺山大官司となり、厨川に任し、南部家につかえ、栗谷川氏と称した。后岩鷺山別当職を繋安楽坊に申付けたと伝えている。
 永禄年中、石川高信の室男子出生を岩鷺山に祈り信直を生む。信直南部家の嗣となり社領二百石を寄進する。二十六代利直代より領内総鎮寺と崇め重く祭祀した。
 新山堂は雫石町頭無に鎮座し境内四千五百九十一坪老松うつ蒼として、昼尚暗く森厳を極む。南部郷村史によると大同二年坂上田村麻呂将軍創建と伝えている。
 慶長八年十月二十日、南部二十六代利直公、西根村大宮神社の別当木村円蔵院に、岩手山西口別当として四十四石五斗一升を与えている。

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