みょうつうじ
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楽しみ方明通寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年08月30日(日) 21時10分14秒
参拝:2026年8月吉日
【棡山(ゆずりさん)明通寺(みょうつうじ)】
本尊:薬師如来
宗派:真言宗御室派
開基:坂上田村麻呂
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第19番~
明通寺は、福井県小浜市門前に位置します。開山は、日本ではじめての征夷大将軍であり、東北の蝦夷を平定したことで有名な坂上田村麻呂だと伝えられており、田村麻呂は806(大同元)年にこの寺を建てたといわれています。それにまつわる伝説もいろいろ伝えられています。当時、田村麻呂の娘の春子は桓武天皇の女御でした。そのため、皇子出産を願い、また、過去に自分が殺戮した蝦夷の魂を弔うために、寺院建立を思い立ったといいます。
~田村麻呂はまず、「寺を建てるのにふさわしい地を示せ、その地に薬師如来を造立し奉る」と願った。すると、すぐに神通力によって鏑矢(かぶらや)が放たれた。その矢を追って田村麻呂は高い山にのぼった。矢は、そこに生えていた棡木(ゆずりぎ)に当たっていた。彼はそこで、棡木の下に端座するひとりの老居士に出会う。田村麻呂がわけを聞くと、老居士は答えた。自分はこの山に長いあいだ住んでいるが、最近、火のように赤い光明を見たので近づいてみると、生身の薬師如来だった。喜びのあまり抱きつくと、薬師如来は棡木に変わってしまった。その因縁で、この霊木を礼拝供養しているのだ、と。自分の願いが聞きとどけられたことを知った田村麻呂は、その木で等身の像を造立し、そこに寺を建てた。それ以降、つねに光明が山川に通じたことから、寺号を「光明通寺」と称したという。これが、明通寺に伝わる創建に関する縁起である。~
~『百寺巡礼 第二巻 北陸』五木寛之(講談社、2003)~
本尊:薬師如来
宗派:真言宗御室派
開基:坂上田村麻呂
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第19番~
明通寺は、福井県小浜市門前に位置します。開山は、日本ではじめての征夷大将軍であり、東北の蝦夷を平定したことで有名な坂上田村麻呂だと伝えられており、田村麻呂は806(大同元)年にこの寺を建てたといわれています。それにまつわる伝説もいろいろ伝えられています。当時、田村麻呂の娘の春子は桓武天皇の女御でした。そのため、皇子出産を願い、また、過去に自分が殺戮した蝦夷の魂を弔うために、寺院建立を思い立ったといいます。
~田村麻呂はまず、「寺を建てるのにふさわしい地を示せ、その地に薬師如来を造立し奉る」と願った。すると、すぐに神通力によって鏑矢(かぶらや)が放たれた。その矢を追って田村麻呂は高い山にのぼった。矢は、そこに生えていた棡木(ゆずりぎ)に当たっていた。彼はそこで、棡木の下に端座するひとりの老居士に出会う。田村麻呂がわけを聞くと、老居士は答えた。自分はこの山に長いあいだ住んでいるが、最近、火のように赤い光明を見たので近づいてみると、生身の薬師如来だった。喜びのあまり抱きつくと、薬師如来は棡木に変わってしまった。その因縁で、この霊木を礼拝供養しているのだ、と。自分の願いが聞きとどけられたことを知った田村麻呂は、その木で等身の像を造立し、そこに寺を建てた。それ以降、つねに光明が山川に通じたことから、寺号を「光明通寺」と称したという。これが、明通寺に伝わる創建に関する縁起である。~
~『百寺巡礼 第二巻 北陸』五木寛之(講談社、2003)~

【三重塔】
国宝。
~高さ約二十二メートルの三重塔を、それよりはるかに高い杉の古木が取りまいている。しかし、堂々とそびえる三重塔のほうが、杉の木をしたがえているように見えた。~
国宝。
~高さ約二十二メートルの三重塔を、それよりはるかに高い杉の古木が取りまいている。しかし、堂々とそびえる三重塔のほうが、杉の木をしたがえているように見えた。~

【仁王門】


【仁王 阿形像】

【仁王 吽形像】

【鐘楼】

【棡木】
ユズリハ。
ユズリハ。

【手水舎】


【本堂】
国宝。
国宝。

【三重塔・本堂】


【三重塔】


【鎮守社】


【本堂】





【サワガニ】


【客殿】


【御朱印】
すてき
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