おかもとじんじゃ・おおたきじんじゃ
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岡太神社・大瀧神社ではいただけません
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岡太神社・大瀧神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2018年07月03日(火)
参拝:2018年6月吉日
娘が研修旅行で行ってきたので代理投稿です。
ここは地図上では「大滝神社」となってますが地元民から言わせますと「岡太神社」の方が古いのだそうです。
丁度ここの1の鳥居から2の鳥居までの間は「越前和紙」の工房やお店が立ち並ぶ「和紙の町」
当然、和紙の神様が祀られている「岡太神社」が重要視されます。
(和紙の神様・川上御前が祀られている)
大滝神社は明治までは大滝寺というお寺さんで、明治の神仏分離で「大滝神社」と名を変えました。その時、お寺にあった仏像は法徳寺等に預かってもらったおかげで処分せずに現在まで残りました。
ちなみに、「岡太神社」はこの周辺にもう一カ所ありますが、あちらは「おかふと」と発音しますが、こちらは「おかもと」と発音するのだそうです。
こちらで目につくのはその社殿。
江戸末期(1843年)永平寺の勅使門を手掛けた永平寺門前大工・大久保勘左衛門の作だそうです。
似たような作りをした社殿が九州宮崎にある「三カ所神社」にありますが、あちらは京都九条家に仕えた宮大工・牧彦兵衛が作った社殿で1818年に造られたものと推定されています。
共に三間社流造と言う建築方法だそうです。
特徴は見事な彫刻と精巧に組まれた基壇。そして拝殿と本殿が一体化している複雑な建て方なんだそうです。
ここは地図上では「大滝神社」となってますが地元民から言わせますと「岡太神社」の方が古いのだそうです。
丁度ここの1の鳥居から2の鳥居までの間は「越前和紙」の工房やお店が立ち並ぶ「和紙の町」
当然、和紙の神様が祀られている「岡太神社」が重要視されます。
(和紙の神様・川上御前が祀られている)
大滝神社は明治までは大滝寺というお寺さんで、明治の神仏分離で「大滝神社」と名を変えました。その時、お寺にあった仏像は法徳寺等に預かってもらったおかげで処分せずに現在まで残りました。
ちなみに、「岡太神社」はこの周辺にもう一カ所ありますが、あちらは「おかふと」と発音しますが、こちらは「おかもと」と発音するのだそうです。
こちらで目につくのはその社殿。
江戸末期(1843年)永平寺の勅使門を手掛けた永平寺門前大工・大久保勘左衛門の作だそうです。
似たような作りをした社殿が九州宮崎にある「三カ所神社」にありますが、あちらは京都九条家に仕えた宮大工・牧彦兵衛が作った社殿で1818年に造られたものと推定されています。
共に三間社流造と言う建築方法だそうです。
特徴は見事な彫刻と精巧に組まれた基壇。そして拝殿と本殿が一体化している複雑な建て方なんだそうです。
みんなのコメント(3件)
よしくん(ホトカミ運営代表)
府中三人衆(前田利家)によって再興されたとの言葉を発見し、前田利家推しとしては嬉しくなりました。
三間社流造というのは珍しい建築様式ですね。
2018年07月03日(火)
京都の宇治神社も三間社流造なんだそうで、この特徴的な基壇はもしかして幕末の流行りなのかもしれませんね。
2018年07月03日(火)
なるほどですねー!!ありがとうございます。
気にして見てみます!
2018年07月03日(火)
ホトカミ見ました! で広がるご縁
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神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
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