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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年12月※大瀧神社・岡太神社ではいただけません

おおたきじんじゃ・おかもとじんじゃ

大瀧神社・岡太神社

福井県 鯖江駅

御朱印について
御朱印
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限定
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おすすめの投稿

惣一郎
2022年11月22日(火)
1045投稿

【越前國 式内社巡り】

大瀧神社・岡太神社(おおたき~・おかもと~)は、福井県越前市大滝町にある神社。旧社格は県社。祭神は、國常立尊、伊弉諾尊(大瀧神社)、川上御前(岡太大神)(岡太神社)。上社(奥の院)は大瀧・岡太両神社の本殿が別個に並立しているが、下社(里宮)は両神社の共有。大瀧神社本殿及び拝殿は、国指定の重要文化財。

伝承によると、大瀧神社の創建は奈良時代の719年、僧・泰澄が当地を訪れた際、国常立尊・伊弉諾尊を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒権現と称したのが大瀧神社の始まり。
また、岡太神社の創建は1500年前、岡本川上流に美しい姫が現れ村人に紙漉きの技術を伝えたため、この姫を「川上御前(和紙の神様・神祖神)」として祀ったのが始まりという。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「越前國 今立郡 岡本神社 小」の論社となっている。建武の新政期の1337年、足利軍の兵火で社殿を焼失したため、祭神を大瀧神社の相殿に祀った。また1575年の織田信長による一向一揆攻略の際、大瀧神社も社殿を焼失、再建時に岡太神社は摂社として境内に祀られた。
明治時代の神仏分離令により、神仏混淆は解消され「大瀧神社」となり、近代社格制度のもと県社に列格した。なお、「大瀧神社・岡太神社」と併記されるのは、大瀧神社の方が格上であるが、当地住民が崇拝して来たのは川上御前であったためであるとされる。

当社は、JR北陸本線・武生駅の東方8kmの山の西麓にある。境内は山の斜面の森の中で、斜面の高いところに大きな社殿が瑞垣に囲われて建っている、宮殿のような荘厳な造り。国重文の社殿も、拝殿と幣殿の屋根が折り重なるように構成される独特で優美なもの。一の鳥居が境内の500m西方にあることからしても、古くからの強い信仰があったものと思われる。非常に強いインパクトがある素晴らしい神社。

今回は、本殿及び拝殿が国重文であること、越前國の式内論社、福井県の旧県社であることから参拝すること。参拝時は休日の午後で、雨降りのあいにくの天気であったにもかかわらず、見掛けただけで十数組の参拝者が訪れていた。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

当社境内の西方600mの県道上に突然現れる<社号標>。表記は「縣社 大瀧神社」。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

少し進むと、もう一つ石標。1940年建立。表記は「岡太神社 大瀧神社」。
刻まれている文字は、五箇の紙をこよなく愛した横山大観の揮毫とのこと。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

県道を跨いで立っている<一の鳥居>。扁額には「岡太神社」とある。
県道199号線は当社の参道なのかな。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

一の鳥居から500m進んだ突き当りにある、境内入口の<二の鳥居>と<社号標>。
社号標の表記は「縣社 大瀧神社」。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

真っ赤な<二の鳥居>の扁額の表記は「大瀧神社 岡太神社」。
鳥居の奥には、多くの巨木が天に向かってまっすぐに聳え、荘厳な雰囲気が漂っている。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

参道左側の<狛犬>。骨太でがっちり体形の勇ましい姿。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

参道右側の<狛犬>。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

参道左側の大きな<手水舎>。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

参道を進んで<社殿>方向を望む。小高い場所にある社殿は重厚感のある構え。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

階段下から<中門>と神域全景。素晴らしく神聖な空気感。階段脇にはたくさんの奉納燈籠。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

中門前左側の<狛犬>。ブロンズ製か?それとも青銅製か?

大瀧神社・岡太神社(福井県)

中門前右側の<狛犬>。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

中門をくぐって、すぐ目の前にある<拝殿>。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

拝殿は意外と横幅がないと思って左手に向かうと、建物は予想外に重層的な造り。
どうなってるのかな?(。´・ω・)???

大瀧神社・岡太神社(福井県)

<社殿>全景。拝殿と本殿が一体的で、折り重なるような屋根の造りが非常に美しい!
(o^―^o)

大瀧神社・岡太神社(福井県)

拝殿に向かって右手突き当りにある<神輿殿>。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

拝殿に向かって左手突き当りにある<神楽殿>。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

神楽殿の裏手、一段高い場所にある境内社2社。表札はなし。
福井県神社庁の当社のページによると「護国霊社」と「氏子祖霊社」かな。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

境内社の位置から<社殿>を見ると、本殿の屋根と拝殿の屋根が複雑に重なっていることがよく分かる。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

本殿の躯体には彫刻がたくさん施されている。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

本殿の彫刻アップ。土砂降りのせいでクリアに見えないのが残念。涙

大瀧神社・岡太神社(福井県)

中門から下に降りて、脇に立ち並ぶ奉納燈籠群。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

奉納燈籠の間に立つ<神馬>。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

神馬の近くにある屋根付きの小さな社。

大瀧神社・岡太神社(福井県)

社殿の西側にある建物。十一面観音坐像が安置されているみたい。
(当日は有料展覧会をやっていて内観できず。)

大瀧神社・岡太神社(福井県)

当社の北西1kmほどの街中にある「越前和紙の里 パピルス館」。御朱印はこちら。(^▽^)/

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garu
2018年07月03日(火)
614投稿

娘が研修旅行で行ってきたので代理投稿です。
ここは地図上では「大滝神社」となってますが地元民から言わせますと「岡太神社」の方が古いのだそうです。
丁度ここの1の鳥居から2の鳥居までの間は「越前和紙」の工房やお店が立ち並ぶ「和紙の町」
当然、和紙の神様が祀られている「岡太神社」が重要視されます。
(和紙の神様・川上御前が祀られている)
大滝神社は明治までは大滝寺というお寺さんで、明治の神仏分離で「大滝神社」と名を変えました。その時、お寺にあった仏像は法徳寺等に預かってもらったおかげで処分せずに現在まで残りました。

ちなみに、「岡太神社」はこの周辺にもう一カ所ありますが、あちらは「おかふと」と発音しますが、こちらは「おかもと」と発音するのだそうです。

こちらで目につくのはその社殿。
江戸末期(1843年)永平寺の勅使門を手掛けた永平寺門前大工・大久保勘左衛門の作だそうです。
似たような作りをした社殿が九州宮崎にある「三カ所神社」にありますが、あちらは京都九条家に仕えた宮大工・牧彦兵衛が作った社殿で1818年に造られたものと推定されています。
共に三間社流造と言う建築方法だそうです。
特徴は見事な彫刻と精巧に組まれた基壇。そして拝殿と本殿が一体化している複雑な建て方なんだそうです。

大瀧神社・岡太神社の本殿大瀧神社・岡太神社の鳥居大瀧神社・岡太神社の建物その他大瀧神社・岡太神社の本殿大瀧神社・岡太神社の本殿大瀧神社・岡太神社の芸術大瀧神社・岡太神社の本殿大瀧神社・岡太神社の建物その他大瀧神社・岡太神社の歴史大瀧神社・岡太神社の歴史
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ナナ
2019年11月16日(土)
332投稿

鳥居をくぐるとリンとした空気感、半端ない神社でした。
日本で唯一の紙祖神、川上御前が祀られています。

何故、二つの神社の名前が併記されているのか?
(上宮)奥の院には大瀧神社、岡太(おかもと)神社の本殿が並んで建つが(下宮)里宮は本殿、拝殿が共有だからだそうです。

拝殿と本殿が一体となっている社殿は国の重要文化財です。とにかく素晴らしい!複雑な屋根の形、そして彫刻。機会があれば是非訪れて欲しい神社です。

実はこの日、午前中に一乗谷朝倉氏遺跡に犬のお散歩に🐶  復原町並に犬と入れる事が分かったので、ボランティアガイドさんに案内してもらいました。その時、長崎から観光で来た方が大瀧、岡太神社がパワースポットで次の目的地だと☘気になっていた神社さんなので、犬を置いて私達も🚗出掛けました。これもご縁ですね。ありがとうございました😊

大瀧神社・岡太神社の鳥居

ニノ鳥居

大瀧神社・岡太神社の本殿

社殿、素敵です。

大瀧神社・岡太神社の狛犬

紅葉も始まっていました

大瀧神社・岡太神社の芸術

見事な彫刻

大瀧神社・岡太神社の本殿

拝殿

大瀧神社・岡太神社の歴史

川上御前の伝説

大瀧神社・岡太神社の御朱印

越前和紙の御朱印。近くのお宅で貰えます。
パンフレットの置いてある所に地図があります。
ピンクと白の2種です。

大瀧神社・岡太神社の御朱印

一乗谷朝倉氏遺跡の御城印
のんびりとした一乗谷朝倉氏遺跡も大好きです。
昔の暮らしを想像しながら散策は気分が良く、大好きな場所です。犬に優しく場所ですしね💕

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歴史

伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒(おおちご)権現を建立したという。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった。
岡太神社については、約1500年前、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。この伝説の姫『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社である[1] 。延元2年(1337年)の足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の祭神を大瀧神社の相殿に祭った。さらに天正3年(1575年)、織田信長の一向一揆攻略の際、大瀧寺一山が兵火に遭い消失。再建時に大瀧神社の摂社として境内に祀られるようになった。

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大瀧神社・岡太神社の基本情報

住所福井県越前市大滝町13-1
行き方
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名称大瀧神社・岡太神社
読み方おおたきじんじゃ・おかもとじんじゃ
通称大瀧権現様
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神大瀧神社:國常立尊・伊弉諾尊
岡太神社:川上御前(岡太大神)
御神体山:権現山
ご由緒

伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒(おおちご)権現を建立したという。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった。
岡太神社については、約1500年前、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。この伝説の姫『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社である[1] 。延元2年(1337年)の足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の祭神を大瀧神社の相殿に祭った。さらに天正3年(1575年)、織田信長の一向一揆攻略の際、大瀧寺一山が兵火に遭い消失。再建時に大瀧神社の摂社として境内に祀られるようになった。

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