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山寺日枝神社ではいただけません
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やまでらひえじんじゃ

山寺日枝神社
山形県 山寺駅

御朱印について
御朱印
あり

右上に出羽国守り、真ん中に山王日枝神社と書かれ、右上に出羽国山寺総鎮守、真ん中に社印が押されています。
社殿が描かれた御朱印帳があります。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり
有料(500円)などで、買い物をすると戻ってくる仕組みです。

山形県のおすすめ🌸

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惣一郎
2022年12月01日(木)
1269投稿

【出羽國 古社巡り】(過去の参拝記録)

山寺日枝神社(やまでら・ひえ~)は、山形県山形市大字山寺にある神社。旧社格は村社。祭神は、大山咋命、大己貴命、伊邪那岐命・伊邪那美命、国常立命。古来、立石寺の鎮守社。

創建は平安時代前期の860年、慈覚大師が宝珠山立石寺を開基する際に、比叡山延暦寺に倣って一山の守護神として日吉大社から分霊を勧請し祀ったのが始まり。当初より「山王権現」、「大宮大権現」と称され、天台宗派の僧により山王神道の神仏習合における東北地方の一代根拠地となった。しかし、戦国時代の1521年に山形城主の最上家の家督争いに端を発し、天童城主・天童頼長の一軍により焼き打ちに遭い、立石寺とともに当社も灰燼と帰した。のち1534年に立石寺を再建するにあたり、守護神である当社がまず再建された。明治時代に入り、神仏分離令により立石寺とは切り離され、山寺村の守護神として社名を「日枝神社」と改め、近代社格制度の下、村社に列した。

当社は、JR仙石線・山寺駅の北側300mほどの立谷川北岸にある。川沿いの平地から階段を数十段上がると、立石寺の根本中堂、山門があるが、当社はその中間の位置にある。境内はそこそこの広さで、やや広い村社といったところ。ただ、山寺への参詣者すべてが当社境内を通過することもあって、社殿を含めよく整備されている。

今回は、山寺立石寺の鎮守社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、天気が良かったこともあり、多くの参拝者が訪れていた。

山寺日枝神社の鳥居

社殿の南方、低い所にある<鳥居>と<社号標>。参道を進んで階段を上がる。

山寺日枝神社の手水

階段を登って右側にある<手水盤>。

山寺日枝神社の本殿

参道正面の<拝殿>全景。

山寺日枝神社の建物その他

拝殿の前左側にある<授与所>。御朱印はこちら。

山寺日枝神社(山形県)

境内は広くはないので、ここから反時計回りに見て廻る。
まず、社殿の左側にある<御神輿殿>(奥)と<こけし塚>(手前)。

山寺日枝神社(山形県)

拝殿に向かって左手(西方向)にある<鳥居>。

山寺日枝神社(山形県)

拝殿に向かって左後ろにある<亀の甲石>。

山寺日枝神社(山形県)

拝殿に向かって右後ろにある<売店>。

山寺日枝神社(山形県)

売店の奥にある<御神木・夫婦銀杏>。

山寺日枝神社(山形県)

拝殿に向かって、右手(東方向)にある<鳥居>。

山寺日枝神社(山形県)

松尾芭蕉が宿泊した「預り坊」が寄進した<手水盤>。

山寺日枝神社(山形県)

拝殿の右手少し離れたところにある<東宮(大正天皇)行啓記念碑>(左)と<貞明皇后記念碑>(右)。

山寺日枝神社(山形県)

拝殿の右側にある石碑。中央は<天照皇大神>、その左側の細いものは<大宮大権現>。

山寺日枝神社(山形県)

売店の前では<山形名物・玉こんにゃく>を売っていた。山寺参詣後で小腹がすいたので買ってみた~♪ (o^―^o)

山寺日枝神社の本殿

最後に<社殿>全景。山寺参詣路の途中にあるので、やはり参拝者が多い。(^▽^)/

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山寺日枝神社の基本情報

住所山形県山形市大字山寺4449-4
行き方
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山形県のおすすめ🌸

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名称山寺日枝神社
読み方やまでらひえじんじゃ
参拝時間

授与所:9:00~17:00

御朱印あり

右上に出羽国守り、真ん中に山王日枝神社と書かれ、右上に出羽国山寺総鎮守、真ん中に社印が押されています。
社殿が描かれた御朱印帳があります。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号023-695-2488
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://hie348.wixsite.com/yamaderahiejinja
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神大山昨命・大己貴命・伊邪那岐命・伊邪那美命・国常立命
ご由緒

奇岩佳勝、史跡名所地として知られる山寺の守り神である日枝神社は貞観2年(860年)、後に天台宗の第三座主となる慈覚大師円仁(じかくたいしえんにん)が宝珠山を開基する際に、比叡山延暦寺に倣って山寺一山の守護神として近江国坂本の日吉大社(ひえたいしゃ)より御分霊を勧請し祀ったのが始まりです。
神社は当初より山王権現、またの名を大宮大権現と称され二ノ宮、三ノ宮、客人権現、更には山王二十一社の規模が整えられ、天台宗派の手により、山王神道の神仏習合における東北地方の一大根拠地となりました。
しかし、大永元年(1521年)には、山形城主である最上家の家督親族争いの巻き添えに伴い、天童城主「天童頼長」等の一軍により山寺一山はことごとく焼き討ちされ、当社も廃儘と帰したが、天文二年(1534年)には、一山の守護神として、当社を先ず再建せらるに至りました。

明治3年、政府の神仏分離令(神仏判然令)により、立石寺とは切り離し山寺村の守護神として日枝神社と社名を改め村社の社格を有することとなり、ここに1000年に及ぶ立石寺の当社への別当は終止符を打つ事となりました。

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