じそんいん|高野山真言宗|万年山
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慈尊院の編集履歴
2023年06月11日 22時48分
通称
女人高野
ご由緒
慈尊院は、弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。
大師の御母公(玉依御前 : たまよりごぜん)が香川県善通寺より、我が子の開いている山を一目見たいとの一念から、ご高齢にも関わらず当院へ参られ、ご本尊弥勒菩薩を篤く尊崇せられた。承知二年二月五日に、御母公が入滅された時に大師は、母公が弥勒菩薩になられた霊夢により廟堂を建立して、自作の弥勒仏と御母君公の霊を安置された。慈尊院とは、弥勒菩薩の別名で、これより表向きに「慈尊院」と呼ばれるようになりました。
山号
万年山
巡礼
神仏霊場巡拝の道・和歌山第10番札所
紀伊之国十三佛霊場第6番札所
編集前:神仏霊場巡拝の道・和歌山第10番札所
紀伊之国十三佛霊場第6番札所
文化財
弥勒仏坐像(国宝)
弥勒堂、絹本著色弥勒菩薩像(重要文化財)
編集前:弥勒仏坐像(国宝)
御朱印の説明
右下に女人高野、真ん中に弥勒佛、左下に慈尊院と書かれ、右上に弘法大師御母公の印、真ん中に梵字の印、左下に女人高野万年山慈尊院の印が押されています。
弘法大師の御母公である玉依御前(たまよりごぜん)が、弘法大師に会いに参られたお寺です。
編集前:右下に女人高野、真ん中に弥勒佛、左下に慈尊院と書かれ、右上に弘法大師御母公の印、真ん中に梵字の印、左下に女人高野万年山慈尊院の印が押されています。
弘法大師の御母公である玉依御前(たまよりごぜん)が、弘法大師に会いに参られたお寺です。
Wikipedia
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