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けたじんじゃ

気多神社
富山県 越中国分駅

御朱印について
御朱印
あり

真ん中に気多神社と書かれ、右上に越中国一宮の印、真ん中に気多神社の社印が押された御朱印です。

限定
-
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あり
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

その他の巡礼の情報

気多苗裔神

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惣一郎
2023年01月06日(金)
1269投稿

【越中國 式内社巡り】(過去の参拝記録)

気多神社(けた~)は、富山県高岡市伏木一宮にある神社。式内社で、越中國一之宮(※)。旧社格は県社。祭神は、大己貴命、奴奈加波比売命。本殿は国指定の重要文化財。

社伝によると、奈良時代の717年に祭神を勧請し創建とある。しかし通説では『式内社調査報告書』などに記載される通り、757年に越中国から能登国を分立する際に、能登国の気多大社から分霊を勧請したものと考えられている。

平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「越中國 射水郡 気多神社 小(または名神大)」に比定されている(「出雲本」では小、「九条本」等では名神大)。のち射水神社との間で一宮争いが生じたが、1163年に成立した『白山之記』では、越中國一之宮であったが、射水神社が無力の間に当社が一宮になったと記載されている。
中世以降、別当寺である慶高寺とともに神仏習合の形で発展し、寿永年間(1182年~1185年)には木曾義仲の兵火、天文年間(1532年~1555年)の上杉謙信の兵火で伽藍や社殿を焼失したが、その度に再建されている。安土桃山時代に検地で社領が召し上げられ荒廃し堂塔大破するも、加賀藩主・前田家の庇護を受け、1645年には加賀藩3代藩主・前田利常により社殿が修復され、供田を寄付されている。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。

当社は、JR氷見線・越中国分駅の南西1kmのなだらか丘の上にある。当社の東方、丘の下には越中国分寺跡があり、当社の西方、社殿の背後には里山展望台がある。森の一部が境内のようになっていて、境内の神聖な空気感が非常に良い。境内のアップダウンは激しくはなく、社殿周りだけが一段高くなっている。立地としては一宮と称されることがあるのは納得だが、他の一宮のような豪壮な感じはしない。

今回は、越中國の式内社、越中國一之宮、富山県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の昼ごろで、我々以外にも家族連れや夫婦連れなど、割と多くの参拝者が訪れていた。

(※)越中国では、射水神社(射水郡)、気多神社(射水郡)、高瀬神社(礪波郡)、雄山神社(新川郡)の4社(いずれも式内社)が「越中國一之宮」を称している。なお、かつて国府や国分寺が存在した越中国の中心地は、現高岡市伏木(気多神社の所在地)とされている。

気多神社(富山県)

境内南東端入口にある<社号標>。

気多神社の手水

社号標に至るまでの公道脇にある<手水舎>。

気多神社(富山県)

入口の階段を登ると<鳥居>。この後、社殿前まで平坦な参道・境内が続く。

気多神社(富山県)

社殿は一段高いところにある。

気多神社(富山県)

階段を登って<拝殿>全景。横長なのが特徴。

気多神社(富山県)

階段を登った左側にある<狛犬>。微笑みを湛えたような独特な表情。(o^―^o)

気多神社(富山県)

階段を登った右側にある<狛犬>。材質は黄色っぽい独特な色合い。

気多神社(富山県)

拝殿に向かって右手にある<参集殿>。

気多神社(富山県)

<拝殿>正面。扁額は普通に「気多神社」。

気多神社(富山県)

<拝殿>内部。採光の良い幣殿の奥に本殿が見える。

気多神社(富山県)

拝殿後ろの<本殿>。戦国時代、永禄年間(1558~1570)の再建。三間社流造、向拝一間、杮葺。美しい佇まい。国指定の重要文化財。

気多神社(富山県)

社殿の左方向にある<御輿堂>。

気多神社の建物その他

御輿堂の近くにある<拝受所>。もう使われていないみたい。

気多神社の末社

社殿の左方向にある<大伴神社>全景。『万葉集』を編纂し、越中国司として当地で223首もの歌を詠んだとされる大伴家持を祀る。

気多神社(富山県)

<大伴神社>の社殿。

気多神社の像

大伴神社から下ったところにある<神馬>。

気多神社の建物その他

神馬の近くにある<大伴家持卿顕彰碑>。

気多神社(富山県)

参道を挟んで神馬と反対側にある<越中総社跡伝承地>。

気多神社(富山県)

越中総社跡伝承地の近くにある<祭器庫>。

気多神社(富山県)

境内入口近くまで戻って、参道左側にある<社務所>。御朱印はこちら。

気多神社(富山県)

境内入口近くからの景色。富山湾が見える。(^▽^)/

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気多神社の基本情報

住所富山県高岡市伏木一宮1-10-1
行き方
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名称気多神社
読み方けたじんじゃ
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

真ん中に気多神社と書かれ、右上に越中国一宮の印、真ん中に気多神社の社印が押された御朱印です。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0766-44-1836
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詳細情報

ご祭神大己貴命
奴奈加波姫命
ご神体不詳
創建時代天平宝字元年(757)
創始者不詳
本殿三間社流造
札所など

気多苗裔神

体験祈祷御朱印祭り札所・七福神巡り一の宮

Wikipediaからの引用

概要
気多神社(けたじんじゃ)は、富山県高岡市伏木一宮にある神社。式内社(名神大社または小社)、越中国一宮。旧社格は県社。 所在地の高岡市伏木は、かつて国府や国分寺が存在した越中国の中心地で、当神社境内にも越中国総社跡の伝承地がある。越中国内で一宮を称する4社のうちで唯一、所在地名に「一宮」と言う銘号が入っている。
歴史
歴史[編集] 創建[編集] 社伝によれば、当神社が勧請されたのは養老元年(717年)としているが、『日本の神々 -神社と聖地- 8 北陸』[1]では、これに対する傍証は無く、草創については諸説あると述べ、以下の説を紹介している。 能登国は養老2年(718年)に越前国より分立し、天平13年(741年)に越中国へ合併された後、天平宝字元年(757年)に再び分立しているが、林喜太郎 『伏木一宮気多神社』[2]によれば、天平13年(741年)から天平宝字元年(757年)までの17年間は、社格からみて羽咋郡の気多大社が全越中の一宮だったはずであり、従って国府の所在地であった当所に分霊されたのは天...Wikipediaで続きを読む
引用元情報気多神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%97%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=97484346

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