おやまじんじゃちゅうぐうきがんでん
雄山神社中宮祈願殿富山県 立山駅
祈祷受付/9:00~15:30
御朱印 | 真ん中に雄山神社、右下に祈願殿と書かれ、右上に芦峅中宮の印、真ん中に雄山神社の印、祈願殿の印が押されています。 | ||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 県道沿い |
雄山神社前立社壇の次は、同じ越中国一宮雄山神社中宮祈願殿に参拝に行ってきました。まだ神社の境内は雪が残っていました。ここに来るまでの道中は雨がパラパラ降るくらいでした。先週に降った雪がまだ残っているとはびっくり‼️しました。
お詣りをして御朱印を頂きに祈願殿の左側の入り口から中に入り、宮司さんがいまきた。御朱印を待っている間、御朱印を書きながら、立山頂上峰本社に行く予定はありますかと聞いてきましたので、是非登拝したいと思っていますと返答しました。そうすると、登山時の注意する点や、どうしても頂上迄行けない時は無理をしない方が良いですと色々教えてくれました。必ず、途中にある山小屋で宿泊して一晩寝て身体を休めてから山頂迄登った方が良いと教えて頂きました。本当に優しい宮司さんだなと思いました。
是非とも登山して登拝したいと思います。
参道を入っていきます。
最初の鳥居
由緒書き
手水社
境内は雪が残っていました。
狛犬
狛犬
神明社
宝童社
祈願殿
立山大宮由緒書き
治国社
今から約一三〇〇年前、文武天皇の大宝元年(701)第十二代景行天皇の後裔、越中の国司佐伯宿禰有若卿の嫡男有頼公が、白鷹と黒熊に導かれ立山の玉殿岩窟において「我、濁世の衆生を救はんがため此の山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり。」という立山両権現の霊示を受け、文武天皇の勅命により開山されたのが霊峰立山である。その立山を神山と仰ぎ、山麓芦峅寺に立山雄山神(立山大宮)、剣岳の刀尾神(立山若宮)の両権現を奉斎する根本中宮をはじめ壮大なる神社仏閣が建立され、岩峅寺にも社殿が建てられて、年中の諸祭礼を怠りなく奉仕したのである。有頼公自らは出家して慈興と号し、立山座主として芦峅寺に居を定め、立山信仰の弘宣に生涯を捧げられたのである。
以来神仏習合の一大霊場として皇室をはじめ武将名門の崇敬を受け、元明天皇・後醍醐天皇の勅願所となり、また清和天皇の貞観5年・宇多天皇の寛平元年に叙位せられた。
平安期の後白河法皇御撰の『梁塵秘抄』には「験仏の尊きは先づ東の立山」と全国著名の霊場の冒頭に記され、また鎌倉時代の安居院編纂の『神道集』に「越中国一宮」、洞院公賢が著した『拾芥抄』に「雄山神社は新川郡葦峅寺にあり」と銘記されており、広く信仰を集めていたことが窺われる。
鎌倉幕府が文治元年に諸堂を造営、室町幕府足利歴代将軍、越中守護代神保長誠公、佐々成政公等々、殊のほか深く崇敬し保護造営されてきた霊場も、天正13年8月、富山城主佐々成政征討のため越中に軍を進めた豊臣秀吉により芦峅寺が悉く焼き払われ、以前の諸堂を殆ど失うこととなった。このことについては「東は立山ウバダウつるぎの山の麓迄、令放火候」と、秀吉が藤三蔵ら五名の近畿大名に送った文書が高野山に残され、『続群書類従』にも「至リ越後界ニ、立山、剣、祖母堂、廻シ人数ヲ」と載せられている。祖母堂(うばどう)とは芦峅寺のことである。
前田利家公が加賀藩主となり復興造営に保護を加え、再び盛賑を極めたものの、明治維新の廃仏毀釈・神仏判然令により一大改新を加えられたため、布橋灌頂において重要な役割を果たした中宮寺ウバ堂は廃止され、天下三霊橋と誇った布橋も落ち、塔中諸坊も四散し芦峅寺は廃墟と化してしまった。ただ、根本中宮の境内とその講堂が雄山神社中宮祈願殿として残り、明治6年に県社、昭和15年に国幣小社に列せられた。(神社HPより)
名称 | 雄山神社中宮祈願殿 |
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読み方 | おやまじんじゃちゅうぐうきがんでん |
参拝時間 | 祈祷受付/9:00~15:30 |
御朱印 | あり 真ん中に雄山神社、右下に祈願殿と書かれ、右上に芦峅中宮の印、真ん中に雄山神社の印、祈願殿の印が押されています。 |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 076-482-1545 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》伊邪那伎尊,天手力雄尊 |
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ご由緒 | 今から約一三〇〇年前、文武天皇の大宝元年(701)第十二代景行天皇の後裔、越中の国司佐伯宿禰有若卿の嫡男有頼公が、白鷹と黒熊に導かれ立山の玉殿岩窟において「我、濁世の衆生を救はんがため此の山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり。」という立山両権現の霊示を受け、文武天皇の勅命により開山されたのが霊峰立山である。その立山を神山と仰ぎ、山麓芦峅寺に立山雄山神(立山大宮)、剣岳の刀尾神(立山若宮)の両権現を奉斎する根本中宮をはじめ壮大なる神社仏閣が建立され、岩峅寺にも社殿が建てられて、年中の諸祭礼を怠りなく奉仕したのである。有頼公自らは出家して慈興と号し、立山座主として芦峅寺に居を定め、立山信仰の弘宣に生涯を捧げられたのである。
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体験 | 祈祷お祓い御朱印お守り一の宮伝説 |
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