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いつくしまじんじゃ

厳嶋神社の編集履歴
2024年02月02日(金)
東京都 若松河田駅

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サンダー
2024年02月02日 10時14分

ご由緒

一、由来
 白河天皇の御世、応徳三年(1086年)鎮守府将軍・源義家公は、後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが当厳島神社の始めと伝えられている。(豊多摩郡誌参照)

二、江戸時代
 参道は南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から、抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つに数えられている。また山之手七福神を構成する弁財天でもある。
 江戸時代の地誌、大久保絵図(安政四年)には、別当二尊院・抜弁天と記載され、また他の絵図にはここに稲荷神社があったことも示されている。
 徳川綱吉将軍の「生類憐みの令」により、この附近に二万五千坪の犬小屋が設けられていた。

編集前:一、由来
 白河天皇の御世、応徳三年(1086年)鎮守府将軍・源義家公は、後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが当厳島神社の始めと伝えられている。(豊多摩郡誌参照)

二、江戸時代
 参道は南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から、抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つに数えられている。また山之手七福神を構成する弁財天でもある。
 江戸時代の地誌、大久保絵図(安政四年)には、別当二尊院・抜弁天と記載され、また他の絵図にはここに稲荷神社があったことも示されている。
 徳川綱吉将軍の「生類憐みの令」により、この附近に二万五千坪の犬小屋が設けられていた。

見所

西向天神社の兼務社

アクセス

都営地下鉄大江戸線 東新宿駅より徒歩8分、若松河田駅より徒歩10分

編集前:都営地下鉄大江戸線 若松河田駅から徒歩10分

創始者/開山・開基

源義家

巡礼

新宿山ノ手七福神

Wikipedia

1080991

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