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穴澤天神社ではいただけません
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あなざわてんじんしゃ

穴澤天神社
東京都 京王よみうりランド駅

社務所:09:00~16:00

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

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惣一郎
2022年02月24日(木)
1269投稿

【武蔵國 式内社巡り】

穴澤天神社(あなざわ・てんじんしゃ)は、東京都稲城市矢野口にある神社。式内社で、旧社格は郷社。主祭神は少彦名命、相殿神は管神(菅原道真公)、大己貴命。

社伝によると、孝安天皇4年(紀元前423年)の創建とされる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 多磨郡 穴澤神社」に比定されている。安土桃山時代の1590年に社殿を再建、江戸時代前期の1694年に地頭の加藤太郎左衛門が社殿を改修し、天満神社を合祀したとの記載がある。明治に入り、郷社に列した。

当社は、京王相模原線・京王よみうりランド駅の東方500mの、三沢川南岸の多摩丘陵の北縁の小高い場所にある。境内下に横穴巌窟(正確には現存のものは二代目)があり、これが「穴澤」の由来となっている。境内北側の階段を数十段登ると東西に長い平らな境内に出る。社殿等はその東端にあり、社殿は珍しく西向きに立っている。駅近で周囲に住宅街もあるため、境内はいつも人の出入りがあり、社務所も有人で、地元に根付いている感じ。

今回は、武蔵國の式内社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、境内には一般参拝者のほか、散歩のご老人、自転車で乗り付けた少年グループなど、様々な人がいた。

穴澤天神社の鳥居

境内北西端入口の<一の鳥居>と<社号標>。目の前には三沢川が流れている。

穴澤天神社の鳥居

階段を上がって左側を向き、社殿方向を望む。

穴澤天神社(東京都)

参道から左側(北側)を望むと、京王相模原線の高架と市街地が見える。

穴澤天神社の末社

参道左側にある<神明神社>(左)と<山王神社>(右)。

穴澤天神社の鳥居

参道を進むと、<二の鳥居>と<社号標>。

穴澤天神社(東京都)

さらに進むと、低い木の柵で囲われた神域に入る。

穴澤天神社(東京都)

参道右手にある<御神老木東舎>。

穴澤天神社の建物その他

つづいて参道右手にある、2つの磐座。

穴澤天神社(東京都)

参道左側にある<神楽殿>。

穴澤天神社の本殿

神楽殿前から<社殿>を望む。

穴澤天神社の手水

参道右側の<手水舎>。

穴澤天神社の狛犬

拝殿前左側の<狛犬>。長毛中型犬タイプ。

穴澤天神社の狛犬

拝殿前右側の<狛犬>。巻き毛がチャーミング。(o^―^o)

穴澤天神社の本殿

<拝殿>全景。いかにも手入れが行き届いた都会の神社といった感じ。社殿は1986年再建。

穴澤天神社の本殿

<拝殿>正面。細かい彫刻の入った扁額も立派。

穴澤天神社(東京都)

拝殿後ろの<本殿>は、江戸時代前期の建立で、一間社流造、こけら葺、丸柱、桁行4.84尺。
彫刻が少なく質素な建築技法は、中世の多摩地方平野部の神社建築の特徴が見られるとのこと。

穴澤天神社の建物その他

社殿左側奥にある<神輿庫>。

穴澤天神社の末社

拝殿に向かって右手にある<稲荷神社>。

穴澤天神社の建物その他

神楽殿と神輿庫の間に建っている<社務所>。御朱印はこちら。

穴澤天神社の建物その他

社殿前に立っている<筆塚>。江戸時代末期に筆学(ふでがく)を生業とした原田金陵の功績をたたえて建立されたとのこと。

穴澤天神社の本殿

最後に社務所前から<拝殿>を望む。都会にあってもしっとりと落ち着いた雰囲気が魅力かな。(^▽^)/

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歴史

 穴澤天神社は、『延喜式神名帳』記載(延喜五年、905年撰上)に記されている古社で、多摩郡八社の内の一社であり、明治六年郷社に列せられました。
 新編武蔵風土記稿によりますと、今より2400年前の昔、人皇第六代孝安天皇の御代、四年に創建されたと記されております。
 主祭神は少彦名命をお祀りした社で、この命は人民に医療法や造酒の術を授けられ、特に薬の神から健康増進の神として、又国土経営に偉功を遺された著名な御方であります。
 元禄七年(1694)に新たな社殿の造営が行われ、その時、菅原道真公を合祀しました。公は古くより文学の神として、親しまれ広く仰ぎ祀られており、大正7年には、村内矢野口宇谷戸に鎮座しておりました、国安神社の大己貴命を更に合祀して、縁結、開運の神として以後崇敬されております。
 三沢川右側沿いの境内下には、横穴厳窟がありましたが、昔の厳窟は崩れ落ち現在は二度目の洞穴に変わりましたが、これが即ち当神社の社号「穴澤」の起源であります。この洞穴には、元種々の神仏の石像が安置した跡も今現在残っており、明治四年神仏分離の際、神仏の像は、当時の別当職でありました威光寺に移され、以後安置している洞窟を辨天洞窟と称されております。

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穴澤天神社の基本情報

住所東京都稲城市矢野口3292
行き方

京王相模原線「京王よみうりランド駅」から徒歩10分
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京王よみうりランド駅から歩いて200~300mほどいくと、ちょっと急な坂を
登っていくような道がありますので、そこをだらだらと上がっていくと神社があります。
神社の境内にクルマがありましたので、このみち狭いですが、クルマで登れるようです。
ところどころ、がけが崩れていたので、駅から徒歩が良いと思います。
園先にある鳥居から登る階段はかなりの長さですし、御神水からも神社に上がる
道がありますが、こちらもかなり険しい感じです。

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名称穴澤天神社
読み方あなざわてんじんしゃ
通称天神様
参拝時間

社務所:09:00~16:00

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号042-377-0055
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
お守りあり

詳細情報

ご祭神《主》少彦名命,《配》菅原道真,大己貴命
創建時代孝安天皇四年(BC389)
ご由緒

 穴澤天神社は、『延喜式神名帳』記載(延喜五年、905年撰上)に記されている古社で、多摩郡八社の内の一社であり、明治六年郷社に列せられました。
 新編武蔵風土記稿によりますと、今より2400年前の昔、人皇第六代孝安天皇の御代、四年に創建されたと記されております。
 主祭神は少彦名命をお祀りした社で、この命は人民に医療法や造酒の術を授けられ、特に薬の神から健康増進の神として、又国土経営に偉功を遺された著名な御方であります。
 元禄七年(1694)に新たな社殿の造営が行われ、その時、菅原道真公を合祀しました。公は古くより文学の神として、親しまれ広く仰ぎ祀られており、大正7年には、村内矢野口宇谷戸に鎮座しておりました、国安神社の大己貴命を更に合祀して、縁結、開運の神として以後崇敬されております。
 三沢川右側沿いの境内下には、横穴厳窟がありましたが、昔の厳窟は崩れ落ち現在は二度目の洞穴に変わりましたが、これが即ち当神社の社号「穴澤」の起源であります。この洞穴には、元種々の神仏の石像が安置した跡も今現在残っており、明治四年神仏分離の際、神仏の像は、当時の別当職でありました威光寺に移され、以後安置している洞窟を辨天洞窟と称されております。

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