もとみしまじんじゃ
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鶯谷駅の目の前に鎮座する小さな神社です。駅のホームからでも神社の位置を確認することができます。こちらも駅前のため、通りすがりに参拝する方が絶えませんでした。現代の神社のあり方の一例を垣間見ることができました。
23.01.05。JR山手線「鶯谷駅」北口より徒歩2分。台東区根岸1丁目の繁華街に鎮座。
《三島さま》・《正岡子規ゆかりの地》
《下谷七福神/寿老神》
御祭神 大山祇命・伊邪那岐命
創建年 伝・弘安4年(1281年)
社格等 旧村社
例大祭 5月第2土曜日・日曜日
【御由緒】~Webサイト「神社と御朱印」より抜粋~
弘安四年発生した元寇において、伊予水軍を率いた勇将・河野対馬守越智通有は伊予国一宮大山祇神社に必勝祈願を行ったのちに出陣し、大きな戦功を挙げ帰陣した。その折、夢で大山祇命の神託を受け、武蔵国豊島郡上野山内に分霊を勧請・奉斎したのが始まりであるとされる。(後略)
本日は当社よりスタートし、下谷七福神の巡拝。快晴のもと気持ち良いウォーキング参詣が出来ました。御朱印も1ヶ所(寿永寺・布袋尊)を除き、直書きで拝受出来ました。当社には12時頃着でしたが、10数人の参拝者がおられました。
この地図を見て移動。
入り口
一の鳥居
狛犬(阿形)
(吽形)
後ろの建物は神楽殿。
左手に正岡子規の石碑
右手に花手水
ニの鳥居と社殿
社殿は昭和51年(1976年)再建。
拝殿正面
社務所
こちらで直書きの御朱印を拝受。
歴史
当社はご祭神は大山祇命・伊佐那岐命を頂き和足彦命・身島姫命・上津姫命・下津姫命を配祀申すものである。
例大祭はご祭神勧請の時にちなみ5月14日15日とする。(但し現在交通事情により5月第2土曜、日曜とする)
元三島神社はそもそも第六十二代円融天皇の御代に日本総鎮守の称号を賜り、明治においては国幣大社に列せられ、四国唯一の大社、大山祇神社をご本社に頂くものである。
当社の由来は本社大山祇神社のご分霊によるものであり、その源を弘安四年の役に発する。
すなわち弘安四年、勇将河野道有、三島水軍を率いて大山祇神社に必勝の祈を捧げて神恩加護を仰ぎ武功赫々として帰国したところ、夢の中に神のお告げを得て大山祇明神武蔵国勧請の発願を時に、上野山中にあった河野氏の館にご分霊を鎮座申したことに始まったと伝わる。
後、室町の代を通じ社運の隆盛いよいよ募り、江戸の代に入っては徳川家より社領拝領預かるが、慶安三年(1650)三代将軍家光の時金杉村に移転、ついで宝永六年(1709)社地幕府御用地となるに、及び代替地に浅草小揚町を賜って再び遷座の運びとなる。
しかるに、代々金杉村に住む氏子住民から氏神様の地元遊離は誠に不都合と赤誠こもる訴えが起こり、金杉根岸の村民相寄り協議の末、金杉根岸の地の熊野神社と合祀を図りこれを元三島神社と称し今日に至る。
旧社殿は明治四年の再建であるが昭和二十年、戦火で焼失以後、昭和二十二年造営するも老朽著しく、よって昭和五十一年四月新たに造営落成したものである。
名称 | 元三島神社 |
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読み方 | もとみしまじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 大山祇命 |
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創建時代 | 弘安四年(1281) |
ご由緒 | 当社はご祭神は大山祇命・伊佐那岐命を頂き和足彦命・身島姫命・上津姫命・下津姫命を配祀申すものである。
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