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歴史

当社はご祭神は大山祇命・伊佐那岐命を頂き和足彦命・身島姫命・上津姫命・下津姫命を配祀申すものである。
例大祭はご祭神勧請の時にちなみ5月14日15日とする。(但し現在交通事情により5月第2土曜、日曜とする)
元三島神社はそもそも第六十二代円融天皇の御代に日本総鎮守の称号を賜り、明治においては国幣大社に列せられ、四国唯一の大社、大山祇神社をご本社に頂くものである。
当社の由来は本社大山祇神社のご分霊によるものであり、その源を弘安四年の役に発する。
すなわち弘安四年、勇将河野道有、三島水軍を率いて大山祇神社に必勝の祈を捧げて神恩加護を仰ぎ武功赫々として帰国したところ、夢の中に神のお告げを得て大山祇明神武蔵国勧請の発願を時に、上野山中にあった河野氏の館にご分霊を鎮座申したことに始まったと伝わる。
後、室町の代を通じ社運の隆盛いよいよ募り、江戸の代に入っては徳川家より社領拝領預かるが、慶安三年(1650)三代将軍家光の時金杉村に移転、ついで宝永六年(1709)社地幕府御用地となるに、及び代替地に浅草小揚町を賜って再び遷座の運びとなる。
しかるに、代々金杉村に住む氏子住民から氏神様の地元遊離は誠に不都合と赤誠こもる訴えが起こり、金杉根岸の村民相寄り協議の末、金杉根岸の地の熊野神社と合祀を図りこれを元三島神社と称し今日に至る。
旧社殿は明治四年の再建であるが昭和二十年、戦火で焼失以後、昭和二十二年造営するも老朽著しく、よって昭和五十一年四月新たに造営落成したものである。

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名称元三島神社
読み方もとみしまじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神大山祇命
創建時代弘安四年(1281)
ご由緒

当社はご祭神は大山祇命・伊佐那岐命を頂き和足彦命・身島姫命・上津姫命・下津姫命を配祀申すものである。
例大祭はご祭神勧請の時にちなみ5月14日15日とする。(但し現在交通事情により5月第2土曜、日曜とする)
元三島神社はそもそも第六十二代円融天皇の御代に日本総鎮守の称号を賜り、明治においては国幣大社に列せられ、四国唯一の大社、大山祇神社をご本社に頂くものである。
当社の由来は本社大山祇神社のご分霊によるものであり、その源を弘安四年の役に発する。
すなわち弘安四年、勇将河野道有、三島水軍を率いて大山祇神社に必勝の祈を捧げて神恩加護を仰ぎ武功赫々として帰国したところ、夢の中に神のお告げを得て大山祇明神武蔵国勧請の発願を時に、上野山中にあった河野氏の館にご分霊を鎮座申したことに始まったと伝わる。
後、室町の代を通じ社運の隆盛いよいよ募り、江戸の代に入っては徳川家より社領拝領預かるが、慶安三年(1650)三代将軍家光の時金杉村に移転、ついで宝永六年(1709)社地幕府御用地となるに、及び代替地に浅草小揚町を賜って再び遷座の運びとなる。
しかるに、代々金杉村に住む氏子住民から氏神様の地元遊離は誠に不都合と赤誠こもる訴えが起こり、金杉根岸の村民相寄り協議の末、金杉根岸の地の熊野神社と合祀を図りこれを元三島神社と称し今日に至る。
旧社殿は明治四年の再建であるが昭和二十年、戦火で焼失以後、昭和二十二年造営するも老朽著しく、よって昭和五十一年四月新たに造営落成したものである。

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