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藤井寺ではいただけません
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ふじいでら|臨済宗妙心寺派金剛山(こんごうざん)

藤井寺
徳島県 鴨島駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

門前に民間駐車場(普通・軽300円、二輪車100円、マイクロ1000円、バス1500円)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第11番

おすすめの投稿

惣一郎
2023年06月04日(日)
1269投稿

【四国八十八ヶ所札所巡り⑪】

藤井寺(ふじいてら)は、徳島県吉野川市鴨島町飯尾にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は金剛山(こんごうざん)、院号は一乗院(いちじょういん)。本尊は薬師如来。四国八十八ヶ所11番札所。本尊の薬師如来像は、国指定の重要文化財。

寺伝によると、創建は平安時代初期の815年、42歳の厄年であった弘法大師が自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を彫像して堂宇を建立したのが始まり。当地から200m上の八畳岩に金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて十七日間の修法をされた。その堂宇の前に五色の藤を植えたという由緒から「金剛山藤井寺」と称されるようになったと伝わる。真言密教の道場として栄え、一時は七堂伽藍を構える壮大な大寺院と発展したが、戦国時代の天正年間(1573年~1592年)の兵火により全山を焼失し衰微した。江戸時代の1674年に阿波藩主・蜂須賀家が帰依していた臨済宗の南山国師が入山して再興し、臨済宗に改めている。1832年に再び火災で本尊以外の伽藍を焼失、のち1860年頃までに再建されている。

当寺は、JR徳島線・鴨島駅の南南西2.5km、道のり2.9kmの山ぎわの平地にある。10番札所の切幡寺からは道のり10.5km。境内は広そうだが、本堂、大師堂、弁天堂、庫裏など伽藍はコンパクトに集まっていて拝観しやすい。境内には特別な古木や巨木を見掛けなかったが、本堂の裏には山と森が構えていて、境内全体に包まれ感がある。

今回は、四国八十八ヶ所札所であることから参拝した。参拝時は休日の午前中で、あいにくの天気であったにもかかわらず、何組かの参拝者が訪れていた。

※徳島県で唯一の有料駐車場の札所。

藤井寺(徳島県)

境内北東端入口の<仁王門>。 ※保護網の都合上、仁王像の写真は撮れず。残念...(^_^;)

藤井寺(徳島県)

仁王門をくぐって右側にある<鐘楼>。

藤井寺の像

山門をくぐって参道を直進すると左側にある<河野清弥太翁像>。
ネット情報によると、河野清弥太は、藤井寺公園保存会会長で、1935年ごろから荒廃していた当寺を再建させ、新八十八か所、西国三十三観音も復興させた人物とのこと。

藤井寺の建物その他

参道突き当りを右に90度曲がると、一段高いところに伽藍が並ぶ。

藤井寺の手水

参道左側の<水屋>。

藤井寺(徳島県)

参道左側、水屋の右隣の建物。奥に仏像が並ぶ。

藤井寺(徳島県)

参道突き当りの<本堂>。

藤井寺の本殿

<本堂>正面。

藤井寺(徳島県)

<本堂>内部。

藤井寺の建物その他

本堂への参道の右側にある<大師堂>。

藤井寺(徳島県)

<藤井寺四国八十八ヶ所霊場参道>のスタート地点。看板の左側にある社は<一番 霊山寺>。

藤井寺(徳島県)

本堂にムウ買って参道左手少し離れた位置にある、印象的な六角形の形をした<弁天堂>。

藤井寺の建物その他

参道を挟んで大師堂の対面、参道から見て弁天堂の手前にある<不動堂>。

藤井寺(徳島県)

本堂への参道左手にある<弁天堂>の鳥居。

藤井寺(徳島県)

鳥居の先にある社。表札には<第八十八番 大窪寺>とある。

藤井寺(徳島県)

鳥居の先右側(山側)にあるのは<西国第一番 那智山青岸渡寺>。

藤井寺の自然

仁王門、鐘楼近くで見掛けた美しいお花。何という名前だろう?(。´・ω・)?

藤井寺の本殿

最後に、<本堂>全景。瓦や躯体に彫刻など凝った装飾が入った美しい建物。

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くるくるきよせん
2023年11月11日(土)
1416投稿

憧れの四国八十八霊場巡り 2回目に出かけました。
四国八十八カ所霊場巡り 11番札所のお寺です。
切幡寺から10kmほどで 途中昼食をとってからのお参りになりました。
札所10番までは比較的短時間ですいすい巡れたのですが ここからは距離が長くなります。
田舎の細い道を上っていった先に駐車場がありました。
ここで初めての有料駐車場です。
お寺の維持管理にお金がかかっていることがよく分かります。
山門をくぐると 山間を切り開いて造った境内に入ります。
右手に鐘楼があり その先右に折れ 階段を上ると本堂・大師堂・不動堂があります。
手水舎の隣には経木流堂もありました。
熊谷寺にも経木流堂があったのですが こちらにもあったので 特別なものではないことを知りました。
本堂は150年ほど前の再建だそうですが とても古く立派に感じました。
山間だと傷むのも早いのでしょうか。
ご本尊の薬師如来様は 見えるといえば見ることができるのですが もう少しはっきり見られたらうれしかったです。
この山奥のお寺でも さすが四国八十八霊場だけあって 参拝者は多かったです。
山号は金剛山
宗派は臨済宗妙心寺派
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:色も香(か)も無比中道(むひちゅうどう)の藤井寺 真如(しんにょ)の波のたたぬ日もなし
でした。
下調べで奥の院があると分かったので 境内奥へと足を進めたのですが それは別投稿で。

由緒については
全長236キロ 四国最大の吉野川が阿波の北部を貫流している。
阿波中央橋を南に渡り およそ3キロの山麓に十一番霊場の山門が見えてくる。
三方を山に囲まれ 渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が この地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。
大師は42歳の厄年に当たり 自らの厄難を祓い 衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して 堂宇を建立した。
その地からおよそ200メートル上の8畳岩に 金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて 一七日間の修法をされた。
その堂宇の前に5色の藤を植えたという由緒から 金剛山藤井寺と称されるようになった。
寺は 真言密教の道場として栄え 七堂伽藍を構える壮大な大寺院と発展した。
だが 天正年間(1573〜92)の兵火により全山を焼失 江戸時代初期まで衰微した。
その後 延宝2年(1674)に阿波藩主が帰依していた臨済宗の南山国師が入山して再興し その折に宗派を臨済宗に改めている。
天保3年(1832)に再び火災に遭い 本尊以外の伽藍はすべて灰燼に帰した。
現在の伽藍は 万延元年(1860)に再建されたもの。
本尊は 「厄除け薬師」として親しまれており 国の重要文化財に指定されている。
藤井寺から次の十二番・焼山寺までは 往古の姿を留める「へんろ道」が通じている。
弘法大師が修行中に休息したという遺跡や石仏 標石が残される貴重なへんろ道である。
とありました。

藤井寺(徳島県)

山門(仁王門)

藤井寺(徳島県)

金剛力士 阿

藤井寺(徳島県)

金剛力士 吽

藤井寺(徳島県)

鐘楼

藤井寺の建物その他

本堂に続く階段

藤井寺(徳島県)

手水舎

藤井寺(徳島県)

経木流堂

藤井寺(徳島県)
藤井寺(徳島県)

本堂

藤井寺(徳島県)

本堂内陣

藤井寺(徳島県)

由緒書

藤井寺(徳島県)

白龍弁財天

藤井寺(徳島県)

大師堂

藤井寺(徳島県)

大師堂内陣

藤井寺(徳島県)

延命地蔵菩薩

藤井寺(徳島県)

不動堂

藤井寺(徳島県)

大師修行像

藤井寺(徳島県)

記念碑

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歴史

全長236キロ、四国最大の吉野川が阿波の北部を貫流している。阿波中央橋を南に渡り、およそ3キロの山麓に十一番霊場の山門が見えてくる。三方を山に囲まれ、渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が、この地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。大師は42歳の厄年に当たり、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して、堂宇を建立した。その地からおよそ200メートル上の8畳岩に、金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて、一七日間の修法をされた。その堂宇の前に5色の藤を植えたという由緒から、金剛山藤井寺と称されるようになった。

寺は、真言密教の道場として栄え、七堂伽藍を構える壮大な大寺院と発展した。だが、天正年間(1573〜92)の兵火により全山を焼失、江戸時代初期まで衰微した。その後、延宝2年(1674)に阿波藩主が帰依していた臨済宗の南山国師が入山して再興し、その折に宗派を臨済宗に改めている。天保3年(1832)に再び火災に遭い、本尊以外の伽藍はすべて灰燼に帰した。現在の伽藍は、万延元年(1860)に再建されたもの。本尊は、「厄除け薬師」として親しまれており、国の重要文化財に指定されている。藤井寺から次の十二番・焼山寺までは、往古の姿を留める「へんろ道」が通じている。弘法大師が修行中に休息したという遺跡や石仏、標石が残される貴重なへんろ道である。

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2

藤井寺の基本情報

住所徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525
行き方

10【切幡寺】より
(自家用車)約35分 約12km
(徒歩)約2時間20分 約9.8km
12【焼山寺】より
(自家用車)約1時間30分 約43km
(徒歩)約5時間 約12.5km

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名称藤井寺
読み方ふじいでら
参拝時間

7:00~17:00

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0883-24-2384
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

第11番

御真言:

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

御詠歌:

色も香も 無比中道の 藤井寺 真如の波の たたぬ日もなし

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号金剛山(こんごうざん)
院号一乗院(いちじょういん)
宗旨・宗派臨済宗妙心寺派
創建時代弘仁6年(815)
開山・開基弘法大師
文化財

木造釈迦如来坐像(重要文化財)

ご由緒

全長236キロ、四国最大の吉野川が阿波の北部を貫流している。阿波中央橋を南に渡り、およそ3キロの山麓に十一番霊場の山門が見えてくる。三方を山に囲まれ、渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が、この地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。大師は42歳の厄年に当たり、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して、堂宇を建立した。その地からおよそ200メートル上の8畳岩に、金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて、一七日間の修法をされた。その堂宇の前に5色の藤を植えたという由緒から、金剛山藤井寺と称されるようになった。

寺は、真言密教の道場として栄え、七堂伽藍を構える壮大な大寺院と発展した。だが、天正年間(1573〜92)の兵火により全山を焼失、江戸時代初期まで衰微した。その後、延宝2年(1674)に阿波藩主が帰依していた臨済宗の南山国師が入山して再興し、その折に宗派を臨済宗に改めている。天保3年(1832)に再び火災に遭い、本尊以外の伽藍はすべて灰燼に帰した。現在の伽藍は、万延元年(1860)に再建されたもの。本尊は、「厄除け薬師」として親しまれており、国の重要文化財に指定されている。藤井寺から次の十二番・焼山寺までは、往古の姿を留める「へんろ道」が通じている。弘法大師が修行中に休息したという遺跡や石仏、標石が残される貴重なへんろ道である。

体験御朱印重要文化財札所・七福神巡り

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