ほうりんじ|高野山真言宗|正覚山(しょうかくざん)
法輪寺徳島県 西麻植駅
7:00~17:00
御朱印 | 真ん中に釋迦如来、左下に法輪寺と書かれ、右上に四国九番の印、真ん中に梵字の印、左下に菩提道場が押されています。 | ||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 普通50台(無料) |
憧れの四国八十八霊場巡り 2回目に出かけました。
道には詳しくないので 札所の番号順にしました。
四国八十八カ所霊場巡り 9番札所のお寺です。
山号は正覚山
院号は菩提院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は釈迦如来(涅槃像)
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
ご詠歌:大乗(だいじょう)のひほうもとがもひるがえし 転法輪(てんぽうりん)の縁(えん)とこそきけ
でした。
8番札所より約2.5㎞と 車ならすぐ近くにあります。
国道318号線を鴨島方面へ進み 県道12号線を脇町方面へ進んでいると看板が出ています。
広い駐車場がありますので 車でのお参りが便利です。
参拝者は比較的多かったように思います。
山門(仁王門)を入ると左側に手水場があります。
最も奥に本堂が建ち 本堂の右に大師堂が並んでいます。
本堂内陣のご本尊は開帳されておらず 撮影しなかったのですが 健脚祈願の願をかけられた「足腰お願いわらじ」の中に涅槃像が安置されていたので撮影しました。
やはり秘仏だと少し残念な気持ちになります。
昔 松葉杖で参拝に来た人が杖がなくても歩けるようになったことから 本堂におびただしい数の草鞋が奉納されているということでした。
本堂に向かって左側に参拝者休憩所と納経所等が建てられています。
その休憩所の左手に鐘楼があります。
由緒については
古くは「白蛇山法林寺」と称され 現在の地より北4キロほど山間の「法地ヶ渓」にあって 壮大な伽藍を誇っていたと伝えられる。
その礎石や焼土が残っており これは天正10年(1582)の戦乱のさいに長宗我部元親による兵火で焼失した遺跡である。
縁起によると 弘法大師がこの地方で巡教されていたときの弘仁6年 白蛇を見つけた。
白蛇は仏の使いであるといわれていることから 大師は釈迦の涅槃像を彫造し 本尊として寺を開基したとされている。
涅槃釈迦如来像は 北枕でお顔を西向きに 右脇を下に寝ている涅槃の姿を表しているが そばの沙羅双樹は白く枯れ 釈迦を慕い嘆き悲しむ羅漢や動物たちの像も安置されている。
開帳は5年に1度行われる予定である。(次回は2025年)
現在地に移転し 再建されたのは正保年間(1644〜48)で 当時の住職が「転法林で覚をひらいた」とされ 山号と寺名をいまの「正覚山法輪寺」と改めた。
しかし 安政6年(1859)にまたしても罹災している。
これは村人が浄瑠璃芝居の稽古をしていた際に 堂内から出火したと伝えられ 鐘楼堂だけを残して全焼した。
明治時代になって再建されたのが現在の堂塔である。
寺宝に「弘法大師御御衣」が伝えられている。
高野山奥の院で入定されている御衣替えの恒例にちなんで 明治15年(1882) 明治天皇が法輪寺に下賜されたものである。
とありました。
仁王門
境内
本堂
ご本尊ではない涅槃像
延命尊
大師堂
大師修行像
鐘楼
地元の方のお手製お地蔵様
【四国八十八ヶ所札所巡り⑨】
法輪寺(ほうりんじ)は、徳島県阿波市土成町土成字田中にある高野山真言宗の寺院。山号は正覚山(しょうかくざん)、院号は菩薩院(ぼだいいん)。本尊は涅槃釈迦如来。四国八十八ヶ所9番札所。
寺伝によると、平安時代初期の815年に弘法大師が当地を巡教していた折、当地で仏の使いである白蛇を見付け釈迦涅槃像を彫像し、これを本尊として当寺を開基したとされている。当初、「白蛇山法林寺」と称され、現在地から北方に4kmほどの山あいの「法地ヶ渓」にあって、一時は壮大な伽藍を誇っていたと伝わる。桃山時代の1582年に長宗我部元親の兵火で伽藍を焼失、江戸時代の正保年間(1644年~1648年)に現在地に移転し、「正覚山法輪寺」と改称した。江戸末期の1859年に火災で鐘楼堂以外のすべてを焼失し、明治時代に再建されている。なお、1882年に明治天皇から「弘法大師御御衣」を下賜され、寺宝となっている。
当寺は、JR徳島線・鴨島駅の北北西4.0km、道のり4.7kmの、水田が広がる平地にある。8番札所の熊谷寺からは道のり2.2km。イメージとして長方形のコンパクトな境内は、伽藍が整然と並び、整っている。納経所の建物が、中庭のある洒落た造りになっているのが印象的。
今回は、四国八十八ヶ所札所であることから参拝した。参拝時は休日の午前中で、あいにくの天気であったこともあり、参拝者は数人とまばらだった。
境内東端入口の<仁王門>。
左側の<吽形仁王像>。
右側の<阿形仁王像>。
仁王門をくぐったところからの眺め。突き当りに<本堂>、右隣に<大師堂>がある。
参道左側にある<水屋>。
<本堂>全景。扁額には「涅槃釈迦如来」とある。
<本堂>正面。
本堂前右側にある<修行大師像>。
本堂の右隣にある<大師堂>全景。
<大師堂>正面。
本堂に向かって右手(北側)にある<方丈>。
本堂に向かって左手(南側)にある<納経所>の建物。
中庭の奥には<納経所>。御朱印はこちら。
最後に、納経所の奥(南側)にある<鐘楼>。(^▽^)/
住所 | 徳島県阿波市土成町土成田中198-2 |
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行き方 | 徳島バス 二条・鴨島線 「二条」下車 (1.8km)
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名称 | 法輪寺 |
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読み方 | ほうりんじ |
通称 | 田中の法輪さん |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 真ん中に釋迦如来、左下に法輪寺と書かれ、右上に四国九番の印、真ん中に梵字の印、左下に菩提道場が押されています。 |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 088-695-2080 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 涅槃釈迦如来 |
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山号 | 正覚山(しょうかくざん) |
院号 | 菩提院(ぼたいいん) |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 弘仁6年(815) |
開山・開基 | 弘法大師 |
ご由緒 | 古くは「白蛇山法林寺」と称され、現在の地より北4キロほど山間の「法地ヶ渓」にあって、壮大な伽藍を誇っていたと伝えられる。その礎石や焼土がのこっており、これは天正10年(1582)の戦乱のさいに長宗我部元親による兵火で焼失した遺跡である。縁起によると、弘法大師がこの地方で巡教されていたときの弘仁6年、白蛇を見つけた。白蛇は仏の使いであるといわれていることから、大師は釈迦の涅槃像を彫造し、本尊として寺を開基したとされている。涅槃釈迦如来像は、北枕でお顔を西向きに、右脇を下に寝ている涅槃の姿を表しているが、そばの沙羅双樹は白く枯れ、釈迦を慕い嘆き悲しむ羅漢や動物たちの像も安置されている。開帳は数年に1度で、次回は2020年2月15日に行われる予定である。 現在地に移転し、再建されたのは正保年間(1644〜48)で、当時の住職が「転法林で覚をひらいた」とされ、山号と寺名をいまの「正覚山法輪寺」と改めた。しかし、安政6年(1859)にまたしても罹災している。これは村人が浄瑠璃芝居の稽古をしていた際に、堂内から出火したと伝えられ、鐘楼堂だけを残して全焼した。明治時代になって再建されたのが現在の堂塔である。寺宝に「弘法大師御御衣」が伝えられている。高野山奥の院で入定されている御衣替えの恒例にちなんで、明治15年(1882)、明治天皇が法輪寺に下賜されたものである。 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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