じしょういん|真言宗豊山派|光明山
自性院の編集履歴
ふりがな
じしょういん
ご由緒
自性院は、慈覚大師が小俣町世尊寺(鶏足寺)に来住のみぎり、八ヶ寺を建立した中の一寺である。
天慶二年(939年)十二月、平将門が乱を起こし、天皇は世尊寺の定宥上人に将門調伏の祈祷を命じた。 勅命を奉じた十宥上人は八ヶ寺の高僧とともに真言の秘法を修し、その霊験あり将門は誅伐された。 この高僧の一人である円浄上人を自性院初代住職とした。
それから戦国の世となり六百年以上も沿革不明となる。従って住職多数はっきりわからず、正親町天皇の永禄二年(1559年)頃の住職であった善誉上人をもって第二代とした。
後に大前村町谷(大前一丁目)に移転するも、元禄時代に五ヶ村用水の新堀が自性院境内の真ん中を通ることになり、五ヶ村民の繁栄を考えて現在地に移転した。
文久二年(1862年)九月二十二日、名古屋産の三州本瓦葺の現本堂を再建。
平成六~八年(1994~1996年)大改修が行われ、大御堂として燦然たる偉容を誇っている。
【歴史的人物の墓所】
丸山昌貞:徳川吉宗の侍医。江戸一番の医者と評され、医者の神様と言われた。
西岡邦之佐春方:元治元年、勤皇の志士として江戸幕府と戦う。
ご祭神/ご本尊
《本尊》大日如来
《尊像》三尊阿弥陀如来・延命子育て地蔵菩薩
《堂宇》大弁財天
《境外堂宇》薬師堂(大前5丁目の山中)
編集前:大日如来
見所
慈覚大師円仁の開基。 鶏足寺の将門調伏にも参加した高僧が初代住職。
江戸幕府の奥医師を勤めた丸山家の墓所があり、三崎稲荷創建の丸山昌貞玄棟と、徳川吉宗の侍医を勤めた丸山昌貞英眞の墓碑がある。
駐車場
境内にあり、広大。
周辺は道が狭くやや入り組んでいるため注意。
御朱印
あり
トイレ
駐車場脇
山号
光明山
院号
自性院 (寺号:遍照寺)
創立
仁寿元年(851年)
創始者/開山・開基
慈覚大師円仁
巡礼
足利弘法大師霊場 第三十三番