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伊豆山神社ではいただけません
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御朱印・御朱印帳

御朱印(1種類)

伊豆山神社の御朱印

300円

上部に剣に伊豆山神社の印、右下に関八州総鎮護の印が入っています。
伊豆山神社は、古くは伊豆御宮、伊豆大権現、走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、関八州総鎮護とされました。

御朱印帳(1種類)

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御朱印について
御朱印
あり

上部に伊豆神社、右下に関八州総鎮護の印が押され、下部真ん中に奉拝と書かれています。
火の力を持った赤龍と水の力を持った白龍の、赤白二龍が描かれた御朱印帳があります。赤白二龍は温泉を生み出すという神様です。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

ご利益

伊豆山神社について

困難をはねのけゴールイン⁉︎源頼朝と北条政子が結ばれた場所


見るべき3つのスポットを紹介します。
1つ目は、腰掛け石です。腰掛け石は頼朝と政子がまさに腰をかけ、愛を育んだそう。実際に腰をかけることはできませんが、エネルギーをもらえるかもしれませんね。
2つ目は、梛の木です。実際に政子も頼朝と自分の名前を葉に刻み、ご利益を願ったようです。
3つ目が結明神社です。ここは男女の縁結びを叶えてくれる神様を祀る神社とされ、多くの方から人気とされています。

静岡県のおすすめ2選🎎

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おすすめの投稿

マサ
2024年03月27日(水)
76投稿

今日の予定は、伊豆山神社・來宮神社・熱海今宮神社と熱海ロープウェイ・初島辺りに行ければいいなと予定していました。ホテルをチェックアウト後に熱海駅に向いバスにて伊豆山神社へ 尚、風雨が強いので伊豆山神社参拝で後は断念しました。ズボンも靴もびしょびしょでした。

伊豆山神社(静岡県)

伊豆山神社の案内図

伊豆山神社(静岡県)

伊豆山神社・一の鳥居

伊豆山神社(静岡県)

石段参道途中・二の鳥居

伊豆山神社(静岡県)

境内社の祖霊社

伊豆山神社(静岡県)

末社の結 明神社

伊豆山神社(静岡県)

伊豆山神社の社務所

伊豆山神社(静岡県)

手ブレがひどい手水舎

伊豆山神社(静岡県)

広い境内

伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社(静岡県)

摂社の雷電社

伊豆山神社(静岡県)

光り石

伊豆山神社(静岡県)

昭和天皇 御手植の松

伊豆山神社(静岡県)

伊豆山神社

伊豆山神社(静岡県)

伊豆山神社の拝殿

伊豆山神社(静岡県)

拝殿のカラフルな彫刻

伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社(静岡県)

伊豆山神社の本殿

伊豆山神社(静岡県)

白山神社の遙拝所

伊豆山神社(静岡県)

本宮までの参拝路 案内図

伊豆山神社(静岡県)

本宮への参拝道

伊豆山神社の御朱印

特別限定御朱印
(法華曼荼羅がデザイン)

伊豆山神社の御朱印

源頼朝と北条政子の御朱印

伊豆山神社の御朱印

通常の御朱印

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ぱん吉🍀
2022年10月29日(土)
951投稿

御朱印で巡る伊豆〜 熱海『伊豆山神社』

源頼朝と北条政子ゆかりの地 ~ 政子頭髪曼陀羅(政子の頭髪で刺繍された法華曼陀羅)も御朱印で見ることができ感激です。印象的な二つの書置き御朱印には、守護神の赤白二龍が秘かに描かれています♪ 国宝(重要文化財)の剣が目を引く通常御朱印もいただきました。

~御由緒~
祭祀の創まりは遥か上古に遡り、その神威の源は湧き出る霊湯「走り湯」~走湯権現とはこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神~こちらの御神徳に由来する。

後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」の一つとうたわれ、平安時代後期には山岳修験霊場として顕密神道を学ぶ名高い道場となる。熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られている。

平治の乱で伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに深い信仰を寄せ、平家を打倒し征夷大将軍となった~東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台。鎌倉将軍の参詣で二所詣の聖地となり、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられた。起請文(武家の誓いの証)には、誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられていたそうです。また、鎌倉三代将軍源実朝が参詣の途に詠じた和歌が『金槐和歌集』に収められています。

遠い昔に行った熱海の記憶もおぼろげ…
次は自分のあしでゆっくり温泉と参拝に (´∀`)

伊豆山神社の御朱印

政子頭髪曼陀羅と本殿が美しい特別限定御朱印(見開き)✨

《法華曼荼羅~政子頭髪曼陀羅》
北条政子の頭髪で刺繍された曼荼羅であると伝わる~ 裏面の修理銘には、政子が夫頼朝の菩提を弔うために自髪を用いて法華曼荼羅を刺繍したことや法華堂の本尊としたことが記されています。
鎌倉幕府の歴史書である「吾妻鏡」によれば、正治2(1200)年に政子が頼朝の1周忌にあたって法華堂に自髪を縫った掛け軸を奉納。頼朝や北条氏との縁の深さ、歴史を示す曼荼羅とも伝えられている。

伊豆山神社(静岡県)

ここで結ばれた頼朝と政子の御朱印~シンボルの赤白二龍が型押しで表現🐲
裏側(左)を見ると凹凸感がわかります。

《赤白二龍交和》
走湯山縁起に拠れば「伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり」とあります。赤龍は火、白龍は水の力を掌り、二龍の力を合わせて温泉を生み出すという最強の守護神。

伊豆山神社(静岡県)

《美しい本殿》
相模灘を一望に望む、海抜170メートルほどの地点。
《御祭神》伊豆山神
火牟須比命、天之忍穂耳命、栲幡千千姫命、邇邇芸命
~明治維新の神仏分離令により伊豆山神社と改称~

伊豆山神社(静岡県)

強運守護、福徳和合、縁結びの神様😊

伊豆山神社(静岡県)

頼朝と政子の願掛け石♡

伊豆山神社(静岡県)

《案内図》
境内は歌枕に名高い伊豆の御山~こごいの森の一部で約40000坪の広さ。この場所はかつて上宮と呼ばれ、参道の階段を下って海抜50メートル弱の地点には下宮の跡地がある。さらに伊豆浜に下ると走り湯があり、海抜380メートルほどの山中に本宮があります。
伊豆の御山は、日金山や岩戸山に連なり、伊豆・相模・駿河の三国にまたがる広大な神域の要です。

伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社の自然

昭和天皇御手植の松

伊豆山神社の庭園
伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社(静岡県)

鎌倉三代将軍源実朝も参詣され和歌を詠まれた、、
こちらも上られたのでしょうか😌

伊豆山神社の建物その他
伊豆山神社(静岡県)

災害の影響も感じられない様子に一安心。

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えい
2023年01月28日(土)
525投稿

岩戸山の麓に鎮座する修験信仰の霊場です✨(頼朝と政子の逢瀬から縁結びの神様として知られています😊)今回時間がなく山の上(片道40〜50分)にある元宮へ行けなかったのが悔やまれます😖次回チャレンジし修験の活動跡を辿ってみたいと思います💪

御祭神
伊豆山神
火牟須比命(ほむすびのみこと) 
天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと) 
邇邇芸命(ににぎのみこと)

御由緒
当社はかつて伊豆御宮、伊豆大権現、走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山、走湯山と呼び親しまれてきた、強運守護、福徳和合、縁結びの神様です。
祭祀の創まりは遥か上古に遡り、現存する木造男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御世に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝える伊豆大神の御神影をあらわしています。その神威の源は、湧き出る霊湯「走り湯」です。走湯権現とはこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。神威を被るところは、沖合に浮かぶ初島をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所と呼ばれた箱根や、富士山に及びます。後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」の一つとうたわれたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となりました。
熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登拝を重ね、富士上人と呼ばれた末代上人は、鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。伊豆山から富士山につながる修行の道は、そののち平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台になります。鎌倉将軍の参詣で二所詣の聖地となった当社は、威光を輝かし、格別の尊崇を集め、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。武家が誓いを立てるときの起請文には、誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられています。
神社ホームページより

伊豆山神社の鳥居

長い石段の参道を登ります😊

伊豆山神社(静岡県)

手水舎の力を合わせて温泉を生み出したとされる「赤白二龍」

伊豆山神社の狛犬
伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社の本殿

本殿✨

伊豆山神社の本殿
伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社(静岡県)

頼朝と政子の逢瀬にちなむ腰掛石💓

伊豆山神社(静岡県)

ハート型のおみくじ掛け❤️

伊豆山神社の建物その他
伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社(静岡県)
伊豆山神社(静岡県)

足立権現社

伊豆山神社(静岡県)

祖霊社

伊豆山神社の建物その他
伊豆山神社の御朱印

書き置き御朱印✨

伊豆山神社(静岡県)

相模湾が望めます😊

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例祭・神事

4月15日 例祭

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歴史

関八州総鎮護 伊豆山神社由緒
社格:旧国幣小社
例祭:四月十五日(定日)
伊豆山神社はかつて「伊豆大権現」「走湯大権現」「伊豆御宮」などと称され、略して「走湯山」「伊豆山」と呼ばれ親しまれてきました。強運守護、福徳和合、縁結び、天下取りの神様で、境内は歌枕に名高い「伊豆の御山」子恋の森の一部になります。
祭祀の始まりは遥か上古に遡り、本殿に祀られている木造男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御代に相模国大磯に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたという伊豆大神の御神影をあらわしています。
その神威の源は湧き出づる霊湯「走り湯」です。走湯大権現はこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。
神威の被るところは、沖合に浮かぶ初島をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所といわれた箱根や富士山に及びます。後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」のひとつと謳われたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となりました。熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。
平安時代後期、伊豆山で修行して富士登拝を重ね、後に富士上人と呼ばれた末代上人は、鳥羽上皇はじめ貴族と民衆を勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。伊豆山から富士につながる修行の道は、その後平治の乱によって伊豆国蛭ヶ小島に配流された源頼朝が北条政子と共に当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとに平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台となります。箱根神社と共に鎌倉将軍の参詣する二所詣の聖地となった当社はますますの威光を輝かしました。この時に鎌倉幕府より「関八州総鎮護」の格を賜ります。その後も格別の尊祟を集め、戦国時代には小田原北條氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。武家が誓いを立てる時の「起請文」には誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられました。
そうした神徳を讃え、鎌倉三代将軍源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金槐和歌集』に収められています。平安時代の女流歌人として名高い相模や鎌倉時代の阿仏尼も、参詣して百首和歌を奉納しました。その伝統は、仲秋の名月に熱海市が主催する「伊豆山歌会」に受け継がれています。
明治時代の神仏分離令により、名を伊豆山神社と改称されてからも、伊豆大神の神威は絶ゆる事なく、大正三年一月十三日には皇太子であられた昭和天皇、昭和五十五年九月十二日には当時皇太孫であられた今上陛下が御参拝になられました。
平成二十三年九月十九日には、新たに『走湯山秘訣絵巻』が奉納されました。関八州総鎮護伊豆山神社の歴史は、東日本大震災からの復興、ひいては日本と世界の平和の歩みを支え、未来永劫に築かれていきます。

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伊豆山神社の基本情報

住所静岡県熱海市伊豆山708-1
行き方

熱海駅より伊豆山神社行き、または七尾循環で約7分

アクセスを詳しく見る
名称伊豆山神社
読み方いずさんじんじゃ
参拝時間

9:30〜16:30

参拝料

なし

御朱印あり

上部に伊豆神社、右下に関八州総鎮護の印が押され、下部真ん中に奉拝と書かれています。
火の力を持った赤龍と水の力を持った白龍の、赤白二龍が描かれた御朱印帳があります。赤白二龍は温泉を生み出すという神様です。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
ホームページhttp://izusanjinjya.jp/
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神伊豆大神
火牟須比命
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
拷幡千千姫尊
天津彦彦火瓊瓊杵尊
ご由緒

関八州総鎮護 伊豆山神社由緒
社格:旧国幣小社
例祭:四月十五日(定日)
伊豆山神社はかつて「伊豆大権現」「走湯大権現」「伊豆御宮」などと称され、略して「走湯山」「伊豆山」と呼ばれ親しまれてきました。強運守護、福徳和合、縁結び、天下取りの神様で、境内は歌枕に名高い「伊豆の御山」子恋の森の一部になります。
祭祀の始まりは遥か上古に遡り、本殿に祀られている木造男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御代に相模国大磯に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたという伊豆大神の御神影をあらわしています。
その神威の源は湧き出づる霊湯「走り湯」です。走湯大権現はこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。
神威の被るところは、沖合に浮かぶ初島をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所といわれた箱根や富士山に及びます。後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」のひとつと謳われたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となりました。熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。
平安時代後期、伊豆山で修行して富士登拝を重ね、後に富士上人と呼ばれた末代上人は、鳥羽上皇はじめ貴族と民衆を勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。伊豆山から富士につながる修行の道は、その後平治の乱によって伊豆国蛭ヶ小島に配流された源頼朝が北条政子と共に当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとに平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台となります。箱根神社と共に鎌倉将軍の参詣する二所詣の聖地となった当社はますますの威光を輝かしました。この時に鎌倉幕府より「関八州総鎮護」の格を賜ります。その後も格別の尊祟を集め、戦国時代には小田原北條氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。武家が誓いを立てる時の「起請文」には誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられました。
そうした神徳を讃え、鎌倉三代将軍源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金槐和歌集』に収められています。平安時代の女流歌人として名高い相模や鎌倉時代の阿仏尼も、参詣して百首和歌を奉納しました。その伝統は、仲秋の名月に熱海市が主催する「伊豆山歌会」に受け継がれています。
明治時代の神仏分離令により、名を伊豆山神社と改称されてからも、伊豆大神の神威は絶ゆる事なく、大正三年一月十三日には皇太子であられた昭和天皇、昭和五十五年九月十二日には当時皇太孫であられた今上陛下が御参拝になられました。
平成二十三年九月十九日には、新たに『走湯山秘訣絵巻』が奉納されました。関八州総鎮護伊豆山神社の歴史は、東日本大震災からの復興、ひいては日本と世界の平和の歩みを支え、未来永劫に築かれていきます。

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