御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
能仁寺ではいただけません
広告

のうにんじ|曹洞宗武陽山

能仁寺
埼玉県 飯能駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

おすすめの投稿

えい
2023年03月12日(日)
525投稿

関東の名刹✨天覧山の麓に鎮座し傾斜を利用して造られた庭園は日本名園百選です😊天覧山は標高197mの低山ですが途中岩場があり、山頂からは富士山やスカイツリーなどが望めます⛰この日は雲のない晴天でしたが、春霞(花粉⤴︎)のためぼんやりの景色でした😄山の岩場に十六羅漢像もあり楽しくお参りしながら山登りを楽しみました🙏良いお参りに感謝です💕

能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)

山門✨

能仁寺(埼玉県)
能仁寺の像
能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)

山門をくぐると両脇に石灯籠が並ぶ道✨空気感が変わります!

能仁寺(埼玉県)

この参道は別名「紅葉坂」だそうです😊

能仁寺の山門

中雀門✨

能仁寺(埼玉県)

鐘楼堂✨

能仁寺(埼玉県)

広い境内✨

能仁寺(埼玉県)

本堂✨

能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)

本堂の左手にある開山堂✨

能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)

お休み処✨

能仁寺(埼玉県)

中雀門の左手へ

能仁寺(埼玉県)

不動堂✨

能仁寺(埼玉県)
能仁寺の御朱印

書き手さんがいらっしゃらなかったので書き置き御朱印でした😊お地蔵さんの挟み紙がかわいい💓

能仁寺(埼玉県)

駐車場前の🌸

能仁寺(埼玉県)

登山口があります😊

能仁寺(埼玉県)

御駒繋松(おこまつなぎのまつ)

能仁寺(埼玉県)

十六羅漢の石仏は徳川五代将軍 綱吉の生母 桂昌院の寄進によるものと言われ、明治16年(1883)までは「羅漢山」と呼ばれていたそうです✨

能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)
能仁寺の建物その他

山頂⛰

能仁寺(埼玉県)

景色は良いです!

能仁寺(埼玉県)

気持ちがいい😊

もっと読む
タケ
2023年05月05日(金)
491投稿

 能仁寺は飯能市飯能にある曹洞宗の寺院で武陽山と号します。本尊は蘆遮那仏像。中山家勝が通幻派の名僧、斧屋文達師を招いて文亀年間(1501-1503)に創建したと伝えられ、子の家範が寺院としての寺容を整えたといわれます。天正19年5石の朱印状を拝領、宝永2年(1705)には50石の朱印状を拝領し、末寺20ヶ寺を擁する中本寺格の寺院でした。幕末の飯能戦争時に振武軍の本陣となったため本堂をはじめ悉く焼失しましたが、本堂は昭和11年に再建しています。

飯能戦争
 飯能戦争とは戊辰戦争の地域戦の1 つで、渋沢成一郎、尾高惇忠、渋沢平九郎等の渋沢栄一の縁者が中心となって結成した振武軍などが、新政府軍と戦った埼玉県内唯一の戊辰戦争の戦場です。
 振武軍ら旧幕府軍が田無から箱根ヶ崎を経て飯能の能仁寺など市内の6つの寺に駐屯してました。
 新政府軍は田無に入ります。そこで振武軍らが飯能にいるという情報を得ると、翌日には扇町屋(現在の入間市)へ進軍しました。そして5月23日未明、笹井(現在の狭山市)で双方が遭遇したことにより戦いの火蓋が切られます。ここで旧幕府軍を撃退した新政府軍は、夜明けを待って進撃を開始しました。
  戦いはわずか半日で終わり、新政府軍が勝利します。敗れた幕府軍の兵士たちの中には渋沢栄一の縁者たちの姿もありました。そのうち渋沢成一郎と尾高惇忠は伊香保へ逃れることができましたが、二人とは別の道を行った渋沢平九郎は逃げ切ることができず、自刃という最期を迎えました。

 能仁寺での参拝後、折角ここまで来たので天覧山へ登頂を決意しました。最初は安易な登山道と思いきや休憩所から先の山頂間際は険しい山道でした。スニーカーでなくウォーキングシューズでよかったと思いました。山頂からの展望は良く、新政府軍の進軍は何の辺を通ったのか辿ってしまいました。

能仁寺(埼玉県)

山門

能仁寺(埼玉県)

寺号標柱

能仁寺の歴史

由緒 説明板

能仁寺の山門

山門(仁王門)

能仁寺(埼玉県)

仁王像

能仁寺(埼玉県)

仁王像

能仁寺(埼玉県)

参道

能仁寺(埼玉県)

竹林

能仁寺(埼玉県)

冠木門

能仁寺(埼玉県)

中雀門参道

能仁寺(埼玉県)

中雀門

能仁寺(埼玉県)

不動堂

能仁寺(埼玉県)

鐘楼

能仁寺(埼玉県)

坐禅堂

能仁寺(埼玉県)

飯能戦争 説明板

能仁寺(埼玉県)

唱義死義碑

能仁寺(埼玉県)

開山堂

能仁寺(埼玉県)

本堂

能仁寺(埼玉県)

本堂

能仁寺の本殿

本堂

能仁寺(埼玉県)

本堂

能仁寺の本殿

本堂

能仁寺(埼玉県)

境内

能仁寺(埼玉県)

境内

能仁寺の建物その他

境内

能仁寺(埼玉県)
能仁寺(埼玉県)

六地蔵像

能仁寺(埼玉県)

六地蔵像

能仁寺の建物その他

参道標柱

能仁寺(埼玉県)

御朱印

能仁寺の歴史

天覧山 説明板

能仁寺(埼玉県)

天覧山登山口

能仁寺(埼玉県)

天覧山 忠霊塔

能仁寺(埼玉県)

天覧山 登山道

能仁寺(埼玉県)

天覧山 山頂

能仁寺(埼玉県)

天覧山 展望

能仁寺(埼玉県)

天覧山 展望

もっと読む
投稿をもっと見る(26件)
名称能仁寺
読み方のうにんじ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号042-973-4128
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://noninji.com/index.html

詳細情報

ご本尊毘蘆遮那仏
山号武陽山
宗旨・宗派曹洞宗

Wikipediaからの引用

概要
能仁寺(のうにんじ)は、埼玉県飯能市飯能にある曹洞宗の寺院である。山号は武陽山。本尊は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)。
歴史
歴史[編集] 寺伝によれば、文亀元年(1501年)、武蔵国高麗郡加治(現在の飯能)の豪族中山家勝が、諸国を巡歴していた名僧曹洞宗通幻派の斧屋文達を招聘して創建した。小庵であったが、家勝の没後、天正元年(1573年)、子の中山家範が父の菩提を弔うため本格的な寺とし、中山家勝、家範、照守および、その後の中山家・黒田家の菩提寺となる。 宝永2年(1705年)当時、常陸下館藩の大名であった黒田直邦は13世住職泰州廣基とともに老朽化した寺を改築し、伽藍を完成させた。そして、雲水50人、七堂伽藍を構える禅寺として栄華を誇った。 飯能戦争[編集] 詳細は「飯能戦争」を参照 慶応4年(1868年)5月...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] 西武池袋線飯能駅北口から、国際興業バス西武飯能日高行き乗車し、「OH!!!・天覧山下」バス停下車、徒歩1分。若しくは名栗・中沢・間野黒指方面行き乗車で「市民会館・博物館」バス停下車、徒歩5分。 JR八高線東飯能駅西口から、上記国際興業バス乗車。(西武飯能日高行きは、東飯能駅を通らないので注意)
引用元情報能仁寺 (飯能市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%83%BD%E4%BB%81%E5%AF%BA%20%28%E9%A3%AF%E8%83%BD%E5%B8%82%29&oldid=92331040

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ