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うなぎひめじんじゃ

宇奈岐日女神社の編集履歴
2024年04月08日(月)
大分県 由布院駅

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神祇伯
2024年04月08日 21時44分

ご由緒

創祀は不詳ですが、景行天皇けが九州西征のみぎり、景行天皇みずから神を祭った親祭の宮とされ、景行天皇12年(82)10月に当地の速津姫が勅を奉じて創祀したとも伝えられています。御祭神は、国常立尊・国狭槌尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊・神倭磐余彦尊・神渟名川耳尊の六柱の神々。康保年中(964-968)性空上人が由布岳に六観音の霊場を開いて佛山寺を開基し、宇奈岐日女神社と習合して六柱の神々を祀ったことから、六所宮、六所様さま、木綿大明神と称されました。

当初の御祭神は、『六国史』に見るように宇奈岐日女神うで、北東に座する由布岳の化身であったとも、古く沼地であった湯布院盆地の沼沢の精霊であったとも考えられています。

伝承では、宇奈岐日女神は、かつて由布院盆地に広がっていた湖を見て、力自慢の従者の道臣命(蹴裂権現)に命じ、湖の西にあった山を蹴破らせます。たちまち湖水は流れ出し、大分川となって別府湾に流れ込み、現在の盆地を造ったとされ、南西4kmほどにある蹴裂権現社がその場所だとされています。湖には、もともと大きな龍が棲んでいたものの、水が干上がったせいで龍は神通力を失ってしまいます。龍は小さな場所でも良いから安心して住める池が欲しい、そうすれは美しい水を湧き出させ、村の人々を守ると宇奈岐日女神に願います。宇奈岐日女神は、願いを聞き入れて残したのが金鱗湖とされています。

そのことから宇奈岐日女神は、農業の神、水神様として親しまれ、湯布院の守護神として崇敬されています。また、「うなぐ」とは、勾玉などの飾りを意味し、勾玉を首からかけた身分の高い女性が巫女として仕えたことから、宇奈岐日女は神に仕える巫女だったとも考えられています。神託を伝えることで、政治を司り、神格化されたとの説もあります。

明治6年(1873)郷社に、大正12年(1923)県社に列格しました。境内は、大木の御神木の並ぶ鬱蒼とした社叢でしたが、平成3年(1991)9月27日の台風19号により倒され、144本の樹々を失いました。その中には、最長55m、幹回り9m、樹齢600年を超える大杉が何本かあり、現在その一部の切株が、御年社と並んで祀られています。

編集前:創祀そうしは不詳ふしょうですが、景行天皇けいこうてんのうが九州西征きゅうしゅうせいせいのみぎり、景行天皇けいこうてんのうみずから神を祭った親祭しんさいの宮みやとされ、景行天皇けいこうてんのう12年(82)10月に当地の速津姫はやつひめが勅ちょくを奉ほうじて創祀そうししたとも伝えられています。御祭神ごさいじんは、国常立尊くにのとこたちのみこと・国狭槌尊くにさつちのみこと・彦火火出見尊ひこほほでみのみこと・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと・神倭磐余彦尊かむやまといわれびこのすめらみこと・神渟名川耳尊かんぬなかわみみのみことの六柱ろくはしらの神々。康保こうほう年中(964-968)性空上人しょうくうしょうにんが由布岳ゆふだけに六観音ろくかんのんの霊場れいじょうを開いて佛山寺ぶっさんじを開基かいきし、宇奈岐日女神社うなぎひめじんじゃと習合しゅうごうして六柱ろくはしらの神々を祀まつったことから、六所宮ろくしょぐう、六所様ろくしょさま、木綿大明神ゆうばだいみょうじんと称されました。

当初の御祭神ごさいじんは、『六国史りっこくし』に見るように宇奈岐日女神うなぎひめのかみで、北東に座する由布岳ゆふだけの化身けしんであったとも、古く沼地であった湯布院盆地ゆふいんぼんちの沼沢しょうたくの精霊せいれいであったとも考えられています。

伝承でんしょうでは、宇奈岐日女神うなぎひめのかみは、かつて由布院盆地ゆふいんぼんちに広がっていた湖を見て、力自慢の従者じゅうしゃの道臣命みちのおみのみこと(蹴裂権現けさきごんげん)に命じ、湖の西にあった山を蹴破らせます。たちまち湖水は流れ出し、大分川おおいたがわとなって別府湾べっぷわんに流れ込み、現在の盆地を造ったとされ、南西4kmほどにある蹴裂権現社けさきごんげんしゃがその場所だとされています。湖には、もともと大きな龍が棲んでいたものの、水が干上がったせいで龍は神通力じんつうりきを失ってしまいます。龍は小さな場所でも良いから安心して住める池が欲しい、そうすれは美しい水を湧き出させ、村の人々を守ると宇奈岐日女神うなぎひめのかみに願います。宇奈岐日女神うなぎひめのかみは、願いを聞き入れて残したのが金鱗湖きんりんことされています。

そのことから宇奈岐日女神うなぎひめのかみは、農業の神、水神様すいじんさまとして親しまれ、湯布院ゆふいんの守護神しゅごしんとして崇敬すうけいされています。また、「うなぐ」とは、勾玉まがたまなどの飾りを意味し、勾玉まがたまを首からかけた身分の高い女性が巫女みことして仕えたことから、宇奈岐日女うなぎひめは神に仕える巫女みこだったとも考えられています。神託しんたくを伝えることで、政治を司つかさどり、神格化されたとの説もあります。

明治6年(1873)郷社ごうしゃに、大正12年(1923)県社けんしゃに列格れっかくしました。境内けいだいは、大木の御神木ごしんぼくの並ぶ鬱蒼うっそうりとした社叢しゃそうでしたが、平成3年(1991)9月27日の台風19号により倒され、144本の樹々を失いました。その中には、最長55m、幹回り9m、樹齢600年を超える大杉が何本かあり、現在その一部の切株が、御年社みとししゃと並んで祀まつられています。

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