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すくなひこなじんじゃ

少彦名神社の編集履歴
2023年03月05日(日)
新潟県 長岡駅

サンダーさんのプロフィール画像
サンダー
2023年03月05日 09時44分

ふりがな

すくなひこなじんじゃ

郵便番号

940-0052

ご由緒

今から540年前に建てられたと伝えられている。当時の神田は沼地で、そこに薬師が祭られており、「神田の薬師様」と呼ばれ、親しまれていたらしい。明治二年、神仏分離で「少彦名神社」と改め、今にいたっている。

文禄元年(1592)神田村の鎮守と定まり、村民はこれを医王の神として崇敬した。慶長年間(1596~1614)南魚沼郡の坂田城主 堀丹後守が祈願を立て、その後、堀氏が長岡移封の際、社守に扶持と境内地を下附された。
次いで、牧野家に至っても崇敬篤く、明治維新に至るまで、社守奉仕を任され五人扶持(一日に玄米4~5合の割合で毎月支給)を給し、又、神鏡を奉納された事もある。
戊辰戦争で社殿は全焼した為、旧記文書及び宝物類は全部失われたが、幸わい御神体のみ無事であった。
明治維新以前の当神社は薬師と称せられ、初代諸里正勝氏は真言宗を修めて医王山竜王院永正と改称して奉仕し,子孫代々受け継がれてきたが、明治二年神仏分離の際、薬師を少彦名神社と改め、同五年に村社とする旨、柏崎県から通達があったが、翌六年町村制の改革に伴ない社格が廃止された。
 戊辰役で全焼した為、仮宮であった社殿は、明治11年明治天皇が北越行幸の際、長岡表町学校脇に御行在所(現在の明治公園内)を設け寝所とされた建物を遷して、当神社の拝殿に充て、明治天皇の御遺徳を偲び、又、神社の神徳と相俟って地域人々の尊崇を受け、{神田の薬師さま}の名で市民に親しまれている。
 大正8年に再び村社に加えられ、同時に幣帛供進神社に指定された。

編集前:今から540年前に建てられたと伝えられている。当時の神田は沼地で、そこに薬師が祭られており、「神田の薬師様」と呼ばれ、親しまれていたらしい。明治二年、神仏分離で「少彦名神社」と改め、今にいたっている。

文禄元年(1592)神田村の鎮守と定まり、村民はこれを医王の神として崇敬した。慶長年間(1596~1614)南魚沼郡の坂田城主 堀丹後守が祈願を立て、その後、堀氏が長岡移封の際、社守に扶持と境内地を下附された。
次いで、牧野家に至っても崇敬篤く、明治維新に至るまで、社守奉仕を任され五人扶持(一日に玄米4~5合の割合で毎月支給)を給し、又、神鏡を奉納された事もある。
戊辰戦争で社殿は全焼した為、旧記文書及び宝物類は全部失われたが、幸わい御神体のみ無事であった。
明治維新以前の当神社は薬師と称せられ、初代諸里正勝氏は真言宗を修めて医王山竜王院永正と改称して奉仕し,子孫代々受け継がれてきたが、明治二年神仏分離の際、薬師を少彦名神社と改め、同五年に村社とする旨、柏崎県から通達があったが、翌六年町村制の改革に伴ない社格が廃止された。
 戊辰役で全焼した為、仮宮であった社殿は、明治11年明治天皇が北越行幸の際、長岡表町学校脇に御行在所(現在の明治公園内)を設け寝所とされた建物を遷して、当神社の拝殿に充て、明治天皇の御遺徳を偲び、又、神社の神徳と相俟って地域人々の尊崇を受け、{神田の薬師さま}の名で市民に親しまれている。
 大正8年に再び村社に加えられ、同時に幣帛供進神社に指定された。

電話番号

0258-77-3770

見所

由緒ある社殿.境内には数々の貴重な文化.史跡資料がある。現在、誰一人知る人もなく境内の片隅に置かれた苔むし古色蒼然たる三基の石祠は、前述した沼のほとりに祀られて数百年を経た薬師を祀った石祠
との確立が高い。又、伊勢内宮荒木田神主書「行在所紀念碑」の石碑や二宮尊徳の石像とその台座に刻まれた明治神宮宮司 有馬良橘に依る「敬神崇祖」.変った物では明治の建国時、国土地理院で測量製作された大日本
國地図の基となった「長岡市の標高基石」(これは東京湾の水位を0米とした標高基石で神田町の標高20.165mである)。
又、拝殿内には明治天皇行在所に使われた唐紙片の額、大正~昭和初期に活躍した日本画壇の大御所であった小野竹喬画「富士」や小室翠雲画「花鳥」の大額、昭和期日本陸海軍の各大将が献書された奉額等多々ある。

編集前:由緒ある社殿.境内には数々の貴重な文化.史跡資料がある。現在、誰一人知る人もなく境内の片隅に置かれた苔むし古色蒼然たる三基の石祠は、前述した沼のほとりに祀られて数百年を経た薬師を祀った石祠
との確立が高い。又、伊勢内宮荒木田神主書「行在所紀念碑」の石碑や二宮尊徳の石像とその台座に刻まれた明治神宮宮司 有馬良橘に依る「敬神崇祖」.変った物では明治の建国時、国土地理院で測量製作された大日本
國地図の基となった「長岡市の標高基石」(これは東京湾の水位を0米とした標高基石で神田町の標高20.165mである)。
又、拝殿内には明治天皇行在所に使われた唐紙片の額、大正~昭和初期に活躍した日本画壇の大御所であった小野竹喬画「富士」や小室翠雲画「花鳥」の大額、昭和期日本陸海軍の各大将が献書された奉額等多々ある。

アクセス

JR長岡駅大手口(北口)出口から徒歩約11分

参拝時間

24時間参拝可能
御朱印等授与品を戴く方は要事前連絡

駐車場

3台分あり

御朱印

あり

参拝所要時間

10分

参拝料

なし

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