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慈眼寺ではいただけません
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じげんじ

慈眼寺のお参りの記録(1回目)
新潟県小千谷駅

投稿日:2018年09月20日(木)
参拝:2018年8月吉日
慶応4(1868)年5月2日、長岡藩総督の河井継之助は、長岡藩の嘆願書を持って新政府軍の岩村精一郎との会談に臨みました。その会談を小千谷談判と呼び、ここ慈眼寺の会見の間にて行われました。会見は30分ほどで終了し、やがて北越戦争の火蓋が切られることになります。慈眼寺には、会談の間がほぼ当時のまま残されており、河井継之助と岩村精一郎の肖像画や、北越戦争に纏わる史料など数多く展示されております。見学の際は予約が必要となりますので、ご注意ください。
慈眼寺の本殿
慈眼寺本堂の外観です。戊辰150年の節目で、街中は大々的に宣伝して活気に溢れています。
慈眼寺の建物その他
河井継之助と岩村精一郎の間で行われた小千谷談判の解説板です。
慈眼寺(新潟県)
河井継之助と岩村精一郎の肖像画が飾られています。
慈眼寺の建物その他
小千谷談判の会見の間です。辺りを見て、当時の名残が多く点在しているのを感じました。
慈眼寺の建物その他
慈眼寺に埋葬されている人達の名前が掘られている墓標です。
慈眼寺(新潟県)
1938(昭和12)年に、河井継之助と岩村精一郎の甥が出席した戊辰の式典時の集合写真です。ここで和解する予定のところ、どちらがより高い宿に宿泊したかで揉めて、結局和解できなかったエピソードがあるそうです。

すてき

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