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廣隆寺ではいただけません
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こうりゅうじ|真言宗系単立

廣隆寺
京都府 太秦広隆寺駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

おすすめの投稿

juan-k
2023年04月08日(土)
81投稿

広隆寺に参詣しました。秦氏ゆかりの寺院です。弥勒菩薩半跏思惟像を拝観しました。

廣隆寺(京都府)

御朱印

廣隆寺の建物その他

上宮王院太子殿

廣隆寺(京都府)

新霊宝殿

廣隆寺(京都府)

新霊宝殿から

廣隆寺の建物その他

講堂は工事中

廣隆寺の山門

楼門

廣隆寺(京都府)

楼門と嵐電

廣隆寺(京都府)

蛇塚古墳にも立ち寄りました。

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歴史

広隆寺は、古くは蜂岡寺、秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺など、さまざまな名称で呼ばれた。もっとも古い呼称は蜂岡寺で、推古天皇11年(603)に建立された山城最古の寺であるとされている。寺伝は、蜂岡寺を聖徳太子が在世中に建立した七大寺の一つとしている。太子建立の七大寺とは、1.法隆寺(法隆学問寺)、2.四天王寺、3.中宮寺(中宮尼寺)、4.橘寺、5.蜂岡寺(広隆寺)、6.池後寺(池後尼寺、法起寺)および7.葛木寺(葛城尼寺)をいう。 別に寺伝にケチをつけるつもりはないが、聖徳太子が実際に建立したのは斑鳩寺(=法隆寺)だけであり、後は聖徳太子にゆかりがあった人々によって建てられたものである。
蜂岡寺は当初から現在の場所に建立されたわけではない。現在地の東北にあたる北野白梅町の北野廃寺跡が葛野秦寺(かどのはたでら)ではないかと考えられている。平安遷都の際に今の場所に移転したという。

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廣隆寺の基本情報

住所京都府京都市右京区太秦蜂岡町32
行き方

京福電鉄嵐山線「太秦」駅下車すぐ。または、市バス右京区総合庁舎前下車、徒歩2分

アクセスを詳しく見る
名称廣隆寺
読み方こうりゅうじ
参拝時間

09:00 ~ 17:00

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号075-861-1461
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

聖徳太子霊跡

第24番

御本尊:聖徳太子

詳細情報

ご本尊秘仏聖徳太子立像
宗旨・宗派真言宗系単立
ご由緒

広隆寺は、古くは蜂岡寺、秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺など、さまざまな名称で呼ばれた。もっとも古い呼称は蜂岡寺で、推古天皇11年(603)に建立された山城最古の寺であるとされている。寺伝は、蜂岡寺を聖徳太子が在世中に建立した七大寺の一つとしている。太子建立の七大寺とは、1.法隆寺(法隆学問寺)、2.四天王寺、3.中宮寺(中宮尼寺)、4.橘寺、5.蜂岡寺(広隆寺)、6.池後寺(池後尼寺、法起寺)および7.葛木寺(葛城尼寺)をいう。 別に寺伝にケチをつけるつもりはないが、聖徳太子が実際に建立したのは斑鳩寺(=法隆寺)だけであり、後は聖徳太子にゆかりがあった人々によって建てられたものである。
蜂岡寺は当初から現在の場所に建立されたわけではない。現在地の東北にあたる北野白梅町の北野廃寺跡が葛野秦寺(かどのはたでら)ではないかと考えられている。平安遷都の際に今の場所に移転したという。

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