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みょうけんじ|日蓮宗大本山具足山

妙顯寺(妙顕寺)の編集履歴
2023年06月25日(日)
京都府 鞍馬口駅

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soo_cyan
2023年06月25日 02時37分

ご由緒

鎌倉時代後期、元亨元年(一三二一)に創建された、洛中における日蓮宗最初の寺院です。
日蓮宗の開祖、日蓮大菩薩の遺命を受け、帝都弘通を果たされた肥後阿闍梨 日像菩薩により建立されました。
日像菩薩は追放や迫害といった数々の法難を乗り越え、粘り強い布教を続け、後醍醐天皇より法華経布教の勅旨を賜り、
宗門の教線拡大の礎を築かれました。
その後、後継者として大覚大僧正を輩出し、日蓮大聖人・日朗上人・日像上人に三菩薩号を賜り、
以来門下屈指の勅願寺として栄え、四海唱導とも称されました。
伽藍はたびたび移転を繰り返しましたが、四条櫛笥(四条大宮の西南)を中心に活動していたことから、一門は四条門流と呼ばれました。
その後も各地を転々としましたが、応仁の乱や天文法難を経て、室町時代後期には二条西洞院の地にありました。
本能寺の変後、秀吉の命により、堂宇を現在の地である小川寺之内に移転し、今日の伽藍の形が定まりました。
江戸時代には天明八年(一七八八)の大火「天明の大火」により、伽藍の大半を消失しましたが、すぐに復興されました。
現在の建物の大半はそのときに再建されたものです。その後、明治の廃仏毀釈や戦後の混乱期を乗り越え、現在に法燈を受け継いでいます。

編集前:鎌倉時代後期、元亨元年(一三二一)に創建された、洛中における日蓮宗最初の寺院です。
日蓮宗の開祖、日蓮大菩薩の遺命を受け、帝都弘通を果たされた肥後阿闍梨 日像菩薩により建立されました。
日像菩薩は追放や迫害といった数々の法難を乗り越え、粘り強い布教を続け、後醍醐天皇より法華経布教の勅旨を賜り、
宗門の教線拡大の礎を築かれました。
その後、後継者として大覚大僧正を輩出し、日蓮大聖人・日朗上人・日像上人に三菩薩号を賜り、
以来門下屈指の勅願寺として栄え、四海唱導とも称されました。
伽藍はたびたび移転を繰り返しましたが、四条櫛笥(四条大宮の西南)を中心に活動していたことから、一門は四条門流と呼ばれました。
その後も各地を転々としましたが、応仁の乱や天文法難を経て、室町時代後期には二条西洞院の地にありました。
本能寺の変後、秀吉の命により、堂宇を現在の地である小川寺之内に移転し、今日の伽藍の形が定まりました。
江戸時代には天明八年(一七八八)の大火「天明の大火」により、伽藍の大半を消失しましたが、すぐに復興されました。
現在の建物の大半はそのときに再建されたものです。その後、明治の廃仏毀釈や戦後の混乱期を乗り越え、現在に法燈を受け継いでいます。

アクセス

●電車でお越しの方
JR京都駅から地下鉄烏丸線(国際会館方面):約15分 →今出川駅より西北へ徒歩11分 もしくは 鞍馬口駅より西南へ徒歩9分
●バスでお越しの方
京都駅正面バスターミナルより9系統(西加茂車庫)行:約20分 →堀川寺之内 下車より東へ徒歩5分

編集前:●電車でお越しの方
JR京都駅から地下鉄烏丸線(国際会館方面):約15分 →今出川駅より西北へ徒歩11分 もしくは 鞍馬口駅より西南へ徒歩9分
●バスでお越しの方
京都駅正面バスターミナルより9系統(西加茂車庫)行:約20分 →堀川寺之内 下車より東へ徒歩5分

参拝料

本堂、庭園500円。特別拝観時要確認

山号

具足山

院号

龍華院

創立

1321年(元亨元年)

創始者/開山・開基

龍華樹院日像上人

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