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ようげんいん|浄土真宗遣迎院派南叡山

養源院
公式京都府 七条駅

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きどっち
2021年10月29日(金)
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浄土真宗遣迎院派 南叡山 養源院

三十三間堂の東大門の向かい、法住寺の北側に位置しています。
もとは天台宗とのこと。

文禄3年(1594年)、浅井長政の菩提を弔うため長政の二十一回忌に長政の長女・淀殿の願いにより豊臣秀吉によって建立されました。
その後、元和5年(1619年)火災により焼失したそうですが、その2年後の元和7年に長政の三女・お江(崇源院)によって再建。

本堂は有料(600円)ですが説明付で拝観させていただけます。

まずは本堂(客殿)に上がると「うぐいす張り」の廊下を進みます。
突き当たりの部屋には、俵屋宗達が描いた杉戸絵「白象図」があります。
これは伏見城で自刃した徳川家の家臣たちの英霊を慰めるために御回向にちなんだ絵を描いたものとされています。
さらにこの白象図の杉戸絵の左手には「松の間」があり、徳川歴代将軍の位牌所となっています。
その松の間の襖絵も宗達によるもので、「岩に老松図」とよばれています。
こちらの襖絵は、宗達が描いた現存する唯一の襖絵だそうです。

また白象図の向かい側に位置する本堂入口側の杉戸絵は「麒麟」が描かれていました。
麒麟は中国の想像上の動物ということは知っていましたが、麒麟の「麒」は角がある雄で、「麟」が雌だそうです。
そしてこの麒麟が描かれた杉戸の裏側には「唐獅子」が描かれており、いずれも躍動感があり今にも飛び出してきそうで、ついついその迫力に引き込まれてしまいました。
これらはいずれも国の重要文化財に指定されています。

本堂に入ってすぐ左手には「牡丹の間」があり、こちらの襖絵は狩野山楽が描いたものだそうで、金箔で表された雲に25個の紅白の牡丹の折花が描かれています。
説明によるとこれは二十五菩薩の化身と考えられているそうです。

そしてこの本堂の天井。
血天井と呼ばれており、伏見城で自刃した徳川の兵士達の血で染まった床板をこのお寺の天井に用いてお弔いされているとのこと。
手や足跡、そして鳥居元忠が自害した跡の説明などもありました。

歴史と芸術の沢山つまったお寺で、とてもよい参拝となりました。
残念ながら本堂内は撮影禁止のため写真はありませんが、ぜひご自身の目で見ていただきたいお寺です。

養源院の山門

山門

養源院の建物その他

山門から本堂へとつづく道
もう少し後だと紅葉がとてもきれいだと思います。

養源院の本殿

本堂(客殿)
国の重要文化財に指定されています。

徳川家の菩提所となっているため、三つ葉葵の紋がばっちり入っています

養源院の御朱印
養源院の手水

手水

養源院の建物その他

鐘楼

養源院の末社

山門入ってすぐ右手にある白衣辨財天

養源院の建物その他

白衣辨財天のすぐ東にある弁天池

養源院の建物その他

白衣辨財天の斜め向かいにある毘沙門天堂

養源院の末社

鎮守社
白鷹龍神 赤桃明神 白玉明神

後ろにあるのはヤマモモの木です。

養源院の授与品その他

パンフレットより
「白象図」

養源院の授与品その他

パンフレットより

養源院の御朱印

御朱印

養源院の御朱印

御朱印「唐獅子」

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歴史

豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政の追善供養のため、21回忌法要の時(文禄3年・1594年)に創建した寺。一度は焼失したが、淀殿の妹で、徳川秀忠の夫人であったお江(おごう・お江与《おえよ》)の方(後の崇源院)の願いにより、元和7年(1621年)に伏見城の遺構を移築して再興された。以降、徳川家の菩提所となり、2代秀忠から15代慶喜まで徳川幕府歴代将軍の位牌が祀られている。
本堂の廊下の天井は有名な「血天井」。俵屋宗達が描いた襖絵「松図」や、白象、唐獅子、麒麟を描いた杉戸絵(重要文化財)と共に、慶長5年(1600年)8月1日に伏見城で自刃した徳川家の家臣を慰めている。

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養源院の基本情報

住所京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656
行き方

市バス「博物館三十三間堂前」「東山七条」より徒歩3分
京阪電車「七条駅」から徒歩10分

アクセスを詳しく見る
名称養源院
読み方ようげんいん
参拝時間

10時〜15時迄

参拝にかかる時間

約30分

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

御朱印の郵送対応あり

御朱印帳あり
電話番号075-561-3887
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
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詳細情報

山号南叡山
院号養源院
宗旨・宗派浄土真宗遣迎院派
創建時代文禄三年(1594)
開山・開基淀殿
文化財

金地着色松図、着色杉戸絵(国指定重要文化財)

ご由緒

豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政の追善供養のため、21回忌法要の時(文禄3年・1594年)に創建した寺。一度は焼失したが、淀殿の妹で、徳川秀忠の夫人であったお江(おごう・お江与《おえよ》)の方(後の崇源院)の願いにより、元和7年(1621年)に伏見城の遺構を移築して再興された。以降、徳川家の菩提所となり、2代秀忠から15代慶喜まで徳川幕府歴代将軍の位牌が祀られている。
本堂の廊下の天井は有名な「血天井」。俵屋宗達が描いた襖絵「松図」や、白象、唐獅子、麒麟を描いた杉戸絵(重要文化財)と共に、慶長5年(1600年)8月1日に伏見城で自刃した徳川家の家臣を慰めている。

体験御朱印お守り重要文化財

Wikipediaからの引用

概要
養源院(ようげんいん)は、京都市東山区三十三間堂廻り町にある浄土真宗遣迎院派の寺院。山号は南叡山。本尊は阿弥陀如来。三十三間堂の東向かいに位置する。養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。もとは天台宗であった。「血天井」「宗達寺」の通称で知られる。
歴史
歴史[編集] 文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父・浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建された[1]。養源院とは浅井長政の院号であり、浅井氏の菩提寺である。開山は浅井氏の庶流にあたる比叡山の僧成伯法印(伝・長政弟)で、秀吉が寺領300石を寄進している。この後、毘沙門堂の脇門跡となっている。 元和2年(1616年)5月7日、江戸幕府第2代将軍徳川秀忠正室の崇源院(江、淀殿の妹)によって、昨年の慶長20年(1615年)5月に大坂夏の陣で自害した淀殿とその子・豊臣秀頼の菩提が弔われている[2]。 元和5年(1619年)、落雷により焼失したが、元和7年...Wikipediaで続きを読む
アクセス
アクセス[編集] 京阪本線「七条」下車、徒歩 京都市営バス(急行100・206・208系統)「博物館三十三間堂前」下車、徒歩
引用元情報養源院」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%A4%8A%E6%BA%90%E9%99%A2&oldid=97736214

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