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建仁寺(建仁禅寺)ではいただけません
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けんにんじ|臨済宗建仁寺派大本山東山

建仁寺(建仁禅寺)
京都府 祇園四条駅

・3月1日~10月31日 午前10時~午後4時30分(午後5時閉門) ・11月1日~2月28日 午前10時~午後4時(午後4時30分閉門)年末拝観休止 12月28日~12月31日

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建仁寺では、「建仁寺の御朱印」がいただけます。

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建仁寺(建仁禅寺)について

教科書で絶対見たことがある風神雷神があるお寺


2枚の屏風全面に金箔が押され、右に風神、左に雷神が描かれている俵屋宗達晩年の最高傑作である『風神雷神図屏風』があることで有名なお寺です。
中では写真が撮り放題なので屏風や庭園など写真を撮りゆっくり楽しみながら参拝ができます。

おすすめの投稿

くるくるきよせん
2023年07月06日(木)
1391投稿

京都市東山区にあるお寺です。
山号は東山(とうざん)
宗旨宗派は臨済宗建仁寺派
寺格は大本山、京都五山三位
ご本尊は釈迦如来
です。
京都で最古の禅寺として有名で、昨年「そうだ京都、行こう」で中庭の美しい映像が流れていたのを覚えていらっしゃると思います。
開山は栄西ですが、京都では比叡山延暦寺の勢力が強く、禅寺を建立するのは困難でした。
建仁2年に将軍源頼家の援助により建立にいたりました。
何度か火災にあっていますが、安国寺恵瓊により復興されました。
境内にはひっそりと恵瓊の墓があります。
あまりにも有名な俵屋宗達筆の風神雷神図は国宝に指定され、京都国立博物館に寄託されていますが、現代の技術で複製されたものが公開されています。
写真撮影も可能なので、多くの方が撮られています。
法堂の双龍図は迫力があり素晴らしいですし、方丈の前庭も見事です。
コマーシャルに使われていたのは、方丈の中庭です。
木漏れ日が苔にあたり、明と暗が表現されています。
京都に来たらお参りすべきお寺の1つです。

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)
建仁寺(建仁禅寺)(京都府)
建仁寺(建仁禅寺)(京都府)

蓮が咲き始めました

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)
建仁寺(建仁禅寺)の芸術

風神雷神の図 複製

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)
建仁寺(建仁禅寺)(京都府)

方丈

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)

方丈前庭 龍安寺みたい

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)

双龍図

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)
建仁寺(建仁禅寺)(京都府)
建仁寺(建仁禅寺)(京都府)
建仁寺(建仁禅寺)の建物その他
建仁寺(建仁禅寺)の建物その他

金澤翔子書 風神雷神

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)
建仁寺(建仁禅寺)の庭園

コマーシャルで見た中庭

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)

別角度で

建仁寺(建仁禅寺)(京都府)

安国寺恵瓊の墓

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歴史

日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航した。1度目の渡宋はわずか半年であったが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。
その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の援助を得て、元号を寺号として、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。伽藍は宋の百丈山に擬して造営された。
創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある。創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆が11世住職として入寺し、この頃から純粋禅の寺院となる。
建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない。

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建仁寺(建仁禅寺)の基本情報

住所京都府京都市東山区大和大路四条下る四丁目小松町584
行き方

・ 京阪電車「祇園四条駅」より 徒歩 7分
・ 阪急電車「京都河原町駅」より 徒歩10分
・JR京都駅より 市バス 206系統・100系統
・市バス「東山安井」より 徒歩5分
・市バス「南座前」より 徒歩7分
・市バス「祇園」より 徒歩10分
・「清水道」より 徒歩10分

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名称建仁寺(建仁禅寺)
読み方けんにんじ
参拝時間

・3月1日~10月31日 午前10時~午後4時30分(午後5時閉門) ・11月1日~2月28日 午前10時~午後4時(午後4時30分閉門)年末拝観休止 12月28日~12月31日

参拝料

500円、中高生300円、小学生200円

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号075-561-0190
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://kenninji.jp/
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご本尊釈迦如来
山号東山
宗旨・宗派臨済宗建仁寺派大本山
創建時代1191年(建仁2年)
開山・開基源頼家/栄西禅師
ご由緒

日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航した。1度目の渡宋はわずか半年であったが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。
その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の援助を得て、元号を寺号として、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。伽藍は宋の百丈山に擬して造営された。
創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある。創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆が11世住職として入寺し、この頃から純粋禅の寺院となる。
建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない。

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