ひがしほんがんじ(しんしゅうほんびょう)|真宗大谷派
東本願寺(真宗本廟)のお参りの記録一覧
渉成園の園林堂の特別拝観を目当てに。棟方志功の襖絵に囲まれた仏間は幻想的。ダイナミックながらも優しい絵が暖かに仏様を囲んでいる。
渉成園のお庭は広々とし、気持ちが良い。
NHK紅白歌合戦で Adoさんが「唱」を歌われた能舞台のあるお寺です。
京都市下京区にあるお寺です。
JR京都駅から北へ徒歩5分ほどの所にあります。
能舞台を見ようと思ってお参りしたのですが 残念ながら通常非公開でした。
「京の冬の旅」で予約すれば見学できたようです。
西本願寺と違い 阿弥陀堂も御影堂も内陣が撮影できませんでした。
山号はなし 宗旨宗派は浄土真宗大谷派 寺格は本山 ご本尊は阿弥陀如来です。
正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)です。
真宗本願寺派の本山である西本願寺と区別するため 両派の本山は通称で呼ばれることが多いです。
京都市民からはお東さんの愛称でも親しまれています。
ここからは西本願寺の紹介でも載せています。
本願寺がなぜ東と西に分かれているのか 少し前まで知りませんでした。
乱暴な説明ですが 簡単にお話ししますと。。
本願寺の前身である石山本願寺は 室町時代に武装化が進み 顕如上人の時代には各地の戦国大名と同盟を結ぶほどの勢力をもちました。
ところが天下統一を狙う織田信長にとって この本願寺の勢力はやっかいなものでした。
信長は石山本願寺の明け渡しを要求しましたが 顕如上人は断固拒否し 全国の門徒衆に対して打倒織田信長を決起しました。
信長は石山本願寺と10年以上も戦争を続けていましたが 武力によって攻め落とすことはできず 和睦の申し入れをしました。
本願寺内部では 和睦派と抗戦派で真っ二つに意見が分かれていました。
顕如上人は和睦を受け入れましたが 長男の教如上人は最後まで抵抗しました。
結局は信長に石山本願寺を明け渡すのですが 石山本願寺は焼かれてしまいました。
石山本願寺焼失後 顕如上人と長男の教如上人の親子の溝は埋まることはありませんでした。
顕如上人は本願寺の宗主を 長男ではなく 三男の准如上人にゆずります。
その後豊臣秀吉の時代になり 本願寺の再興を許されて京都の堀川に建てられたのが現在の西本願寺となります。
豊臣が徳川に滅ぼされ 徳川家康の時代になりました。
家康は本願寺の巨大な勢力を分断するために 不満のたまっていた教如上人に目を付け 西本願寺のすぐ近くの烏丸に寺地を寄進して東本願寺を建てさせました。
そして 本願寺教団は三男の西本願寺と長男の東本願寺に分裂されることになりました。
という流れです。
御影堂門の北側に
こちらも 御影堂門の北側に
御影堂門
木組みがとてもすばらしい
西も東も 山門が大きすぎる
柱には彫刻
見上げたら 見事な彫刻
境内案内図
手水屋形と言うらしい
説明
手水の龍
釣り鐘の説明
先代の鐘
阿弥陀堂門
阿弥陀堂
同じようなものが西本願寺にもありました
阿弥陀堂と御影堂
阿弥陀堂の説明
阿弥陀堂の説明
能舞台について
御影堂
御影堂の説明
1272年宗祖親鸞の娘・覚信尼が東山大谷に建てた仏堂が始まり。
1602年徳川家康が寄進した現在地に東本願寺が分立した。
現在の伽藍は明治時代からの再建である。
御影堂(1895年建築)、阿弥陀堂(1895年建築)、御影堂門(1911年建築)、阿弥陀堂門(1911年建築)、鐘楼(1894年建築)、手水屋形(1895年建築)は重文指定されている。
宝蔵、大玄関及び大寝殿、白書院、黒書院、宮御殿、桜下亭、能舞台、議事堂、表小書院、菊門、玄関門、寺務所門、内事門、十三窓土蔵、洋館、日本館、鶴の間が今年重文に追加指定される。
阿弥陀堂門(唐門)
御影堂門
菊門(1911年)
菊門
玄関門(1911年)
寺務所門
奥は議事堂(東本願寺出版庁舎)
内事門
内事門
内事門
十三窓土蔵
築地塀
御影堂
御影堂
御影堂
御影堂
阿弥陀堂
阿弥陀堂
造合廊下(附重文)
高廊下
高廊下
鐘楼(修復中)
梵鐘
梵鐘
梵鐘
梵鐘
手水屋形
大寝殿(1868年)
大寝殿(1868年)
大玄関(1867年)
京都市下京区にある真宗大谷派の本山寺院。石山本願寺の戦いで織田信長と徹底抗戦を主張した一派が跡目争いに敗れて隠居させられていたところ、徳川家康は本願寺の勢力を分断する意味で、その強硬派に対して社地を寄進し、1602年に今の東本願寺ができたと言われています。
現在の伽藍は明治時代に再建されたもので、黒と金を基調としており、木造建築としては世界最大級の建物とのことです。
御影堂門(重要文化財):三門形式の二重門で、京都三大門の1つ
御影堂(重要文化財)
阿弥陀堂門(重要文化財)
阿弥陀堂
菊の門(勅使門)
西本願寺から10分ほどで、東本願寺へ
こちらの建造物も、デカイデカイ…
西本願寺といい、東本願寺といい、ほんと古の方々の
建築技術には頭が下がります。
東本願寺も御朱印ありませんが、参拝した人を大きく迎えてくれるような構えです。
9月とはいえ、まだまだ暑いため参拝者も少ないので、悠々と廻れました。
東本願寺の説明書き
門の前は整然としています。
阿弥陀堂門と御影堂門
阿弥陀堂門を近くから
東本願寺の全容です。
左が阿弥陀堂。右が御影堂です。
正面からの阿弥陀堂。
御影堂の右端から。こちらも涼しげです。
御影堂門
御影堂の全容
京都市下京区烏丸通にある浄土真宗大谷派(通称お東さん)の総本山。
元は1つの宗派だった真宗(一向宗)は戦国時代に織田信長との戦いで11代宗主顕如の三男准如と長男教如が和睦か徹底抗戦かで対立し和睦を選んだ顕如によって後継者は同じ和睦派の准如になりましたがその後徳川家康が教如に土地(現在の東本願寺境内)を与えたことで東西に分かれ教如が宗主を勤めた真宗は大谷派と呼ばれるようになりました。
本堂にあたる御影堂は世界最大級の木造建築で日本を代表する仏教寺院の1つです。見えるの中は撮影禁止ですのでご注意下さい。私が参拝に来た時は法話が行われていて平日の朝でしたが多くの方がお話を聴いてきました。
アニメ映画「HELLOWORLD」に登場する聖地の1つで映画公式の野外上映会も行われました。
御影堂
由緒書
堀
御影堂門
燈籠
お東さん広場の蓮華の噴水
阿弥陀堂
菊門
手水舎
京の冬の旅で特別拝観中の東本願寺へ参拝。こちらは御朱印は戴けないので参拝だけになります。まあとにかくお堂が大きい。整然と清められた中に建つさまは見る者を圧倒します。
今回冬の特別拝観で大寝殿と白書院も拝観できました。白書院の奥、書院造部分は豪華絢爛でした。
今回は徒歩5分の飛び地庭園、渉成園も伺いました。ここは木々が芽吹いたころにまた来たいです。
御影堂門。唖然とするサイズです。ずーっと下がらないと写真取れません。
御影堂門の下を潜って中へ。
御影堂。奥に阿弥陀堂。とにかく大きい。圧倒されます。
受付から中へ。大玄関からの眺め。
特別公開中の大寝殿前の廊下。
大寝殿。
奥の襖絵
廊下を渡って白書院へ。
こちらも特別公開中の白書院。
能舞台。
御影堂、阿弥陀堂は写真NGなので参拝後に外へ。これは鐘楼です。
別の角度から。手前が阿弥陀堂、奥が御影堂です。修復後できれいです。
入り口部分。雪が残ってます。
池の水は冬季に抜かれます。緑が芽吹くころにまた来たいです。
令和5年初の県外遠征(?)は、やはり京都市へ🚃
主に京都駅北側の下京区・中京区、地下鉄烏丸線近くを参拝した先日の模様です😌
まずは浄土真宗大谷派本山真宗本廟(東本願寺)卍
この日最初の目的地、文子天満宮へ徒歩で向かう際に朝のご挨拶だけ🙏
何回来てもデカいね👍御影堂、阿弥陀堂、鐘楼、御影堂門などが重要文化財指定。
毎年4〜5月の蓮如上人御影道中で福井とは繋がりがあります。
京都駅を下りるとこの快晴☀
まさか午後に雨降りになるとは😥
御影堂門を境内から
手水屋形
御影堂
阿弥陀堂
帰り際に京都駅の空中経路から👀
阿弥陀堂と御影堂の屋根が少しだけ見えた
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