やしまじ|真言宗御室派|南面山(なんめんざん)
屋島寺香川県 潟元駅
7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 屋島山上(普通車300円 20分以内は無料) |
四国お遍路第84番札所、南面山千光院屋島寺。鑑真和尚が日本に渡航中八島の沖で山頂から瑞光が、立ち上がるのをみて伽藍建立したのがはじまり。その後鑑真の弟子恵雲律師が精舎を構え屋島寺とした。嵯峨天皇勅願で弘法大師が十一面千手観世音菩薩を刻み本尊とした。
本堂。
蓑山大明神。日本三大狸の一つ。鑑真和尚を化けて案内したのが蓑山大明神こと屋島太三郎狸。
おとうさんたぬき。
蓑山大明神。
源平合戦。那須与一のパネルなどみながら門に向かう。平重盛が傷付いた屋島太三郎を助けたことから源平合戦では平家に味方したとか。
【南面山(なんめんざん)千光院(せんこういん)屋島寺(やしまじ)】
本尊:十一面千手観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
開基:鑑真和上
寺を開いたのは律宗の開祖・鑑真和上。屋島の北嶺を聖地と感じて開創し、のちに鑑真の弟子で東大寺戒壇院の恵雲がお堂を建立し初代住職となって「屋島寺」と名づけた。815(弘仁6)年に第52代 嵯峨天皇(在位809-823)の勅願を受けてここを訪れた弘法大師(774-835)は、伽藍を北嶺から南嶺(現在地)へ移し、千手観音像を安置し本尊とした。その後、天暦年間(947-957)明達が四天王像と、現在の本尊となる十一面千手観音座像を安置している。
【84_T.Hamada's view】
本堂。
【84_太三郎狸】
本堂の横には「蓑山大明神」が鎮座し、四国狸の総大将「太三郎狸」を祀っている。太三郎狸は日本三名狸の一つで、変化(へんげ)妙法は日本一と言われている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【84_蓑山(みのやま)大明神】
子宝や縁結び、家族円満の御利益で人気。
【84_本堂】
【84_大師堂】
【84_仁王門】
【84_仁王阿形像】
【84_仁王吽形像】
【84_四天王門】
【84_東大門】
鮮やかな赤がまぶしい東大門。駐車場からの入口。
【84_三躰堂】
鑑真が祀られている。
【84_千躰堂】
中央に千手観音、その背後に千体仏が祀られている。
【84_熊野権現社】
【84_一願不動像】
【84_七福神】
【84_獅子の霊巌】
眼下の巌の形が獅子の頭に似ているので獅子の霊巌と呼ばれている。弘法大師が屋島寺本堂の建立を早朝に着手、工事途中で太陽が西に沈むころ、大師はこの巌に立って扇を持って夕陽を招き返し、一日で工事を完成させたと伝えられている。
【84_宝物館】
本尊の十一面千手観世音菩薩(国の重要文化財)が拝観できるほか、多くの仏像や源平盛衰記絵巻物など豊富な寺宝が保存・展示されている。
ふらっと入った宝物館でしたが、思いがけず日本画家の浜田泰介氏の作品に出会いました。「大自然の四季」をテーマにした壁画(春の瀬戸・夏の瀬戸・秋月波・冬暁富嶽)でした。氏が描かれた四国霊場88ヶ所の画集に出会い、絵の風景を見てみようと札所を巡っている中で、氏の作品に出会えたことに非常に感慨深いものを感じました。氏が、88の寺を絵にしてみようと四国遍路巡礼の旅にでられたのが50歳の時といいますから、40年余りの年月が経っています。当時と変わらぬ景色があれば変わっている景色もありました。88ヶ所の内86札所について、このあたりから描かれたんだろうか、と絵筆を走らせる姿を想像しながら撮りました。
屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。
弘仁6年(815)、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置した。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれている。屋島寺はまた、山岳仏教の霊場としても隆盛し、天暦年間(947〜57)には明達律師が訪ねて四天王像を奉納された。現在の本尊・十一面千手観音坐像はこのころに造られており、国指定重要文化財になっている。やはり国指定重要文化財の本堂は鎌倉時代に造営されているが、寺運は戦乱によって衰退する。だが、国主・生駒氏の寺領寄進や、歴代藩主の援助により相次いで修築され、鎌倉・江戸時代の風格を現代に伝えている。
住所 | 香川県高松市屋島東町1808 |
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行き方 | 屋島駅あるいは琴電屋島駅から屋島山上行きシャトルバス「屋島山上」下車 (0.2km)
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名称 | 屋島寺 |
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読み方 | やしまじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 087-841-9418 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
ご本尊 | 十一面千手観世音菩薩 |
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山号 | 南面山(なんめんざん) |
院号 | 千光院(せんこういん) |
宗旨・宗派 | 真言宗御室派 |
創建時代 | 天平勝宝6年(754年) |
開山・開基 | 鑑真 |
札所など | 四国八十八箇所第84番 |
文化財 | 【重要文化財】本堂、木造千手観音坐像(本尊)、梵鐘 |
ご由緒 | 屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。
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体験 | おみくじ御朱印お守り札所・七福神巡り |
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