さくらやまじんじゃ
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 境内にあり |
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東北遠征の最後は盛岡駅から比較的ちかく、三ツ石神社の御朱印を櫻山神社でいただけるとの案内があったので立ち寄りました。
盛岡城が明治政府に接収された後、明治4年9月、御神体を盛岡市茄賀野村妙泉寺山に仮遷座、同10年5月20日に盛岡・下北山の聖寿禅寺跡に新社殿を造営し再遷座。この地域を今でも旧櫻山と称されるのはこのことに由来。明治14年1月、県社に列格。明治23年、旧盛岡城地が南部家に特別縁故によって払い下げられたことを契機に、旧盛岡藩士族また旧盛岡藩領民より、旧城地への遷座の機運が盛り上がり、盛岡城旧三の丸鳩森下曲輪跡(御蔵跡・勘定所跡)に明治32年神社敷地を造成。今日に見られる本殿、拝殿、神門
桜山神社の裏側にある階段を登っていくと、少し小高くなった所に、高さ6メートル以上もある大きな「烏帽子岩」が見えてきます。なんでも、南部藩第27代藩主・利直(としなお・1576~1632)の時代に盛岡城築城の工事中に出てきた大岩なのだとか。この烏帽子岩について案内板には、
盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈ばかり突出した大石が出てきました。
この場所が、場内の祖神さまの神域にあったために、宝大石とされ、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され災害や疫病があった時など、この岩の前で、平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。
と記されていました。利直は巨岩を見て良い兆しだと喜び、南部藩盛岡の宝大石として大切に祀ったそうです。
【陸奥國 古社巡り】
櫻山神社(さくらやま~)は、岩手県盛岡市内丸にある神社。旧社格は県社。祭神は、盛岡藩主であった南部家の4人(南部光行、南部信直、南部利直、南部利敬)。
創建は江戸時代中期の1749年、盛岡藩第8代・南部利視が盛岡藩初代・信直の遺徳を偲び、盛岡城内に神殿を建立し神霊を勧請して「淡路丸大明神」と奉じたのが始まり。その後、1812年に盛岡藩第11代・利敬が「櫻山大明神」と改称、1818年に南部家初代・光行を合祀した。
明治に入り、盛岡城が明治政府に接収されたため御神体を別地に社殿を造営して遷座し、近代社格制度のもと県社に列格した。その後旧盛岡城地が南部家に特別縁故で払い下げられると、旧盛岡藩士族や領民の尽力により、1899年に現社地の盛岡城旧三の丸・鳩森下曲輪跡に社殿を造営し、再遷座した。大正時代に盛岡藩第3代・利直、11代・利敬の礼を合祀した。
当社は、JR東北本線・盛岡駅の東方1kmほどの中津川の北岸、盛岡城址公園の北部にある。境内はすごく広いわけではないが、拝殿は大きく、本殿は一段高いところにある。本殿の横には「烏帽子岩」と名付けられた、古くから信仰の対象となってきた巨岩があるのが特徴。
今回は、岩手県の旧県社、岩手県で人気の神社ということで参拝することに。参拝時は休日の昼ごろで、ぱらぱら雨が降るあいにくの天気であったにもかかわらず、多くの人が参拝に訪れていた。(もしかすると、盛岡城址公園自体が人気の観光地なのか、盛岡の人々の憩いの場所なのか、目の前の公道は常時多くの人と車が行き交っていた。)
境内の北側、公道の参道上にある<一の鳥居>。
少し進むと<二の鳥居>。この先の右側に「白龍」という「じゃじゃ麺」の超人気店があり、雨の中でもすごい行列ができている。
さらに進むと<三の鳥居>。公道を挟んで向こう側が境内。
境内北東端入口全景。人気の観光娯楽エリアのようで、たくさんの人々が行き交っている。
神門左側の<狛犬>。現代的で割と普通のタイプ。
神門右側の<狛犬>。
いよいよ<神門>をくぐる。入口に社号標はなく、「櫻山神社」と書かれた大きな扁額が掛かっている。
神門の右側にある<手水盤>。その盤上には、かつて南部家江戸屋敷に祀られていた<おもかげ地蔵>がある。
神門の左側も手水盤かと思ったが、そうではなく説明書きには「長寿院亀之助」と書かれている。
長寿院亀之助の裏側にある<御神木>。
神門をくぐったところから、<社殿>方向を望む。<社殿>は一段高いところにある。
神門をくぐったところから、左手には<参集殿>が見える。
参道を進み階段を登った左側にある<狛犬>。こちらは古そうで味がある。
階段上の右側にある<狛犬>。
<拝殿>全景。
<拝殿>正面。ここにも「櫻山神社」と書かれた大きな扁額。
拝殿の左側にある<授与所>。御朱印はこちら。
御朱印を待つ間、授与所前から<拝殿>全景。
拝殿の右側には<御神輿庫>がある。
御神輿庫の右側の階段を登って、拝殿後ろにある<本殿>。
本殿の後方には<烏帽子岩(兜岩)>がある。盛岡城三の丸付近に三角状の大岩があり、2代藩主・南部利直公が掘り進めると巨岩が現れ、これを「めでたい兆し」とし、盛岡藩の守り岩として崇め祀ったとのこと。
本殿の右側、少し離れたところにある<南部稲荷神社>。鳥居の前にも別の巨岩がある。
最後に<社殿>全景。盛岡藩主・南部家の威光を感じられる立派な神社。(^▽^)/
名称 | 櫻山神社 |
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読み方 | さくらやまじんじゃ |
通称 | 櫻山さん |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 019-622-2061 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.sakurayamajinja.jp/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 《主》南部光行,南部信直,南部利直,南部利敬 |
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創建時代 | 寛永二年(1749) |
ご由緒 | この地を盛岡として発展させた藩主様を祀る300年の歴史ある神社 |
体験 | 結婚式御朱印武将・サムライ |
Wikipediaからの引用
概要 | 櫻山神社(さくらやまじんじゃ)は、岩手県盛岡市に鎮座する神社である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建から江戸時代後期 江戸時代中期の寛延2年(1749年)、盛岡藩第八代・南部利視により盛岡藩初代・信直の遺徳を偲び、盛岡城内淡路丸に神殿を建立、同年9月26日、その神霊を勧請して「淡路丸大明神」と奉ったのに始まる[1]。 盛岡藩第十一代・利敬が文化9年(1812年)8月13日に「櫻山大明神」と改称。その後、利敬は同15年(1818年)4月に南部家初代・光行を合祀した[1]。 明治時代 盛岡城が明治政府に接収された後、明治4年(1871年)9月、御神体を岩手郡加賀野村妙泉寺山(現・盛岡市)に仮遷座、同10年(1877年)5月20日に盛岡・下北山の聖寿禅寺跡に新社殿を造営し再...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] JR東日本・IGRいわて銀河鉄道盛岡駅より バス利用の場合 盛岡バスセンター方面の路線で約10分、「県庁・市役所前」バス停下車。徒歩3分。 徒歩で約20分。 |
引用元情報 | 「桜山神社 (盛岡市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A1%9C%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%9B%9B%E5%B2%A1%E5%B8%82%29&oldid=99318899 |
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