にのみやあかぎじんじゃ
二宮赤城神社群馬県 駒形駅
24時間参拝可能
社務所午前9:00から午後5時
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり20~30台 |
春の大祭です!参道には出店も並び、小さな子供さんがパパママジジババと品定めをしている光景があちらこちらで見られました!やっぱ、唐揚げ、焼きそばでしょう!
創立年代は垂仁天皇の時代と古いものです。
しおりを頂き読んでみると興味深い文章があります。
ある時赤城の神が機織りをしようとすると「くだ」が不足しており、思案の末、貫前の神は外国から来て多分持っているだろうと頼んだところ、快く貸してくれて無事折り終えた。
このような技術を持つ神が他国へ移っては困ると思い、一宮であった赤城神社はその地位を貫前神社に譲り、二宮になった。
つまり、貫前は帰化人の神であり、赤城は上野国に住む人々が昔から信仰して来た神である。
信仰され崇敬の厚さはこれが物語っている。
へえ〜確かに貫前は大衆が親しみをもってって感じではなかったかな?
お参りの日だから尚感じたのかもしれないです。
参道の奥に出店がありました。
鐘楼があります!
少し盛り上がった神橋です。
灯籠
一生懸命持ち上げてます。
花手水
境内は提灯で飾られています。
神楽殿は催し物の準備中
本殿
立派!
祠群
色々文化財があります。
茅葺の建物は今は社務所のようです。
珍しいたけのこ型の御朱印です。
二宮赤城神社(にのみや・あかぎ~)は、群馬県前橋市二之宮町にある神社。式内論社(名神大)で、上野国二之宮の論社。旧社格は郷社。祭神は豊城入彦命(とよきいりひこ)と大己貴命(おおなむち)の2柱。上毛三山の一つ、赤城山を御神体として祀る神社で、関東を中心に約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社。赤城山の南面の山麓にある。
創建は不詳。赤城南麓には豊城入彦命を祖とする上毛野氏がいて、当社の創建に関係したと伝わる。当地の東北方に4基の前方後円墳からなる大室古墳群が残っており、赤城神と関係が深い上毛野氏の中心地であると推測されている。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(大洞)、赤城神社(三夜沢)とともに、その論社となっている(赤城神社(大洞)または赤城神社(三夜沢)は山宮で、当社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。戦国時代末期に、北条氏直によって当社は焼き払われたが、江戸時代直前に大胡城に入った徳川家家臣の牧野氏が社殿を整備した。明治時代に入り、郷社に列した。
当社は、JR両毛線・駒形駅の北東3kmあまりの平地にある。近くに国道17号(上武道路)や国道50号線が走っており交通至便。境内はけっこう広く、鳥居から社殿までは距離があって旧郷社格としては堂々たるもの。特徴的なのは神門からスタートする広い境内と、藁葺屋根の社務所。江戸期からの歴史を十分に感じることができる。
今回は上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、赤城山の観光エリアから離れていること、真夏の炎天下であったことなどもあるのか、自分たち以外に参拝者は見掛けなかった。
境内南端にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居の扁額には<郷社 二宮赤城神社>と記載されている。
鳥居をくぐって、参道右側にある<鐘楼>。梵鐘は赤城神社神宮寺に奉納されたもので、1623年の銘がある。現在は御神幸(ごじんこう)の時のみ撞かれるとのこと。御神幸は年2回、4月と12月の初辰の日に、御神体が赤城神社(三夜沢)まで遷幸するもの。
林の中の参道を進む。
やがて参道の両側に燈籠が立ち、<神代橋(じんだいばし)>を渡って神域に入る。
神代橋を渡ってすぐ右側にある<手水舎>。
参道正面に現れる<隋神門>。隋神門をくぐってすぐ左側に立つ建物は<授与所>。御朱印はこちら。
参道左側(境内西側)に見えるのが、茅葺屋根に味がある<社務所>。
参道右側(境内東側)に見えるのが、<神楽殿>(中央)と<舞台>(右)。2つ分かれているのは珍しい。
参道突き当りの<拝殿>全景。
<拝殿>正面。
<拝殿>正面には、<二宮赤城神社>の扁額が掛かっている。さらに奥にも扁額がある?
覗き込んでみると、奥の扁額には<二宮神社>と書かれている。
拝殿左手にある<天満宮>。
社殿左手に並んでいる小祠群。写真右奥には、南北朝時代の<宝塔>がある。この手の宝塔は赤城山南麓に多く分布し、<赤城塔>と呼ばれるとのこと。
拝殿後ろの<本殿>。壁のない覆屋に覆われている。
社殿左側奥にある境内社。鳥居の奥には、社殿ではなく石碑が立っている。
社殿左側にある境内社。
住所 | 群馬県前橋市二之宮町886 |
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行き方 | 前橋駅(JR東日本両毛線)から、バス(東大室行き)で「二之宮町神社裏」下車、徒歩約7分
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名称 | 二宮赤城神社 |
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読み方 | にのみやあかぎじんじゃ |
通称 | 二宮神社 |
参拝時間 | 24時間参拝可能
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参拝にかかる時間 | 20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 027-268-0276 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》大己貴命,多紀理比売命,多岐津比売命,市岐島毘売命,天忍穂耳命,天之笠早命,熊野久須毘命,活津日子根命,天津日子根命,和久産巣日命,大物主命,建御名方命,須佐之男命,建御賀豆智命,大地主命,誉田別命,菅原道真,《配》級津姫命,彦狭島命,少彦名命,天津日大御神,級津彦命,大山祇命,磐筒男命,磐筒女命,日本武命,級津姫命 |
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文化財 | 群馬県指定文化財
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体験 | 御朱印 |
概要 | 二宮赤城神社(にのみやあかぎじんじゃ)は、群馬県前橋市二之宮町にある神社。式内社(名神大社)論社、上野国二宮論社。旧社格は郷社。 関東地方を中心として全国に約300社ある赤城神社の、本宮と推測されるうちの一社である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 赤城山(祭祀対象) 概史[編集] 創建は不詳で、平安時代にさかのぼると見られる。赤城南麓には豊城入彦命を祖とする上毛野氏がいたと伝わっており、当社の創建に関係したともいわれる[1]。当社が「二宮」と称したのは12世紀前後と見られる[2]。 六国史には「赤城神」に対する数度の神階奉授の記録があるほか、平安時代中期の『延喜式神名帳』には名神大社として「上野国勢多郡 赤城神社」の記載があり、その論社とされている。論社には赤城山麓に鎮座する当社のほか、山腹の三夜沢赤城神社、山頂の大洞赤城神社があり、確定していない。 戦国時代末期には北条氏直により荒廃したが、大胡城に入った牧野氏に...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 御神幸 (4月・12月の初辰の日)[1] - 三夜沢赤城神社まで神体が遷幸する。前橋市重要無形民俗文化財指定。 御神事 (3月・11月の最終午の日) 例大祭 (4月15日) ^ 祭事は境内説明板より。 |
引用元情報 | 「二宮赤城神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=96133210 |
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