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子鍬倉神社ではいただけません
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御朱印について
御朱印
あり

右下にいわき市平、真ん中に子鍬倉神社、延喜式内と書かれ、真ん中に子鍬倉神社の印、左下に子鍬倉神社宮司之印が押されています。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

有(20台)

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もも
2023年04月20日(木)
98投稿

高台にある神社です⛩️

前から行きたいと思っていて、やっと参拝することが出来ました✨

所々にお花が咲いていて綺麗でした😄

子鍬倉神社の鳥居
子鍬倉神社の本殿
子鍬倉神社の本殿
子鍬倉神社の絵馬
子鍬倉神社の鳥居
子鍬倉神社の末社
子鍬倉神社の自然

牡丹桜?だと思いますが綺麗でした🌸

子鍬倉神社の自然

藤の花が咲いてました。まだ半分くらいの開花でしたが満開に咲いたらとても綺麗でしょうね!

子鍬倉神社の御朱印
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断捨離
2020年09月24日(木)
1270投稿

子鍬倉神社、こくわくらじんじゃ、って言いづらいし、不思議な名前だと思いませんか?
「子」は蚕、つまり衣。「鍬」は農機具、つまり食。
「倉」は建物、つまり住。
衣食住、すべてのご神徳を表した尊いお名前だと知りました。

子鍬倉神社の鳥居

正面の階段は広くて急です。
とても開放的で、気持ち良いのですが足に自信がないので、後ろの駐車場から入りました。

子鍬倉神社の庭園

ちょっと歩いてみます。緑の中で木漏れ陽が気持ちいいです。

子鍬倉神社の本殿

まっすぐ伸びた参道。

子鍬倉神社の狛犬

拝殿

子鍬倉神社の本殿

中は子鍬倉稲荷神社となってました。

子鍬倉神社の末社

境内社
八坂神社。

子鍬倉神社の末社
子鍬倉神社の末社

天満宮

子鍬倉神社の末社
子鍬倉神社の芸術

境内社ですが、ちょっとオシャレ。

子鍬倉神社の自然

ヤマユリも咲いていました。
夏ですね!

子鍬倉神社の御朱印
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歴史

【 社名について 】
子鍬倉(こくわくら)という社名は、日本全国で唯一のものです。
旧県社として稲倉魂命を祀り、衣食住の神として尊崇されています。
「子」は、養蚕の盛んな時代に蚕を“お子さん”と呼んだことから衣を意味し、「鍬」は農具であり食を意味し、「倉」は物品出納の場所である住を意味しています。
このように、当社名は「衣食住」を象徴し、神徳を表現した尊い名前です。
【 創建と由緒 】
当社は古く、平安時代の大同元年(806年)に創建されたと伝えられています。
また「延喜式」の神名帳に当神社の名前が記載され、由緒ある神社である「式内社」と呼ばれ、磐城七社の一つとされました。
かつては磐城四郡の総鎮守と称され、平城三社の一つとしても、歴代の平城主から厚い尊崇を受けていました。
【 江戸期の調査と復興 】
慶長7年(1602年)、鳥居忠政が磐城平城を築くにあたり当社の社地を狭められたため、荒廃してしまいました。
その後、磐城平藩主の内藤義概(1619-1685)の調査において、平桜町(現在の磐城桜が丘高内)の稲荷の小社の周囲から勾玉などが出土しました。
これをもって子鍬倉神社として比定され、復興に際して現在の揚土台に社殿を造営されたと伝えられます。
稲荷大明神とも称され、子鍬倉稲荷神社とも呼ばれる所以です。
【 県社の第一号 】
明治6年(1873年)3月に全国的に社格制度が実施され、その際、磐前県は当神社を県社の第一号に指定しました。
これにより、氏子民は地方神社の最高峰として、敬意を持って神社に参拝し、現在でも「県社」という愛称で親しまれています。
また、明治7年(1874年)には南正面の断崖を切り開いて現在の「男坂」を造り、大正10年(1921年)に現在の「女坂」が完成しました。

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名称子鍬倉神社
読み方こくわくらじんじゃ
通称けんしゃ、子鍬倉稲荷神社
参拝時間

9:00-16:30

御朱印あり

右下にいわき市平、真ん中に子鍬倉神社、延喜式内と書かれ、真ん中に子鍬倉神社の印、左下に子鍬倉神社宮司之印が押されています。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》稲倉魂命
創建時代大同元年(806年)
本殿木造流造り
ご由緒

【 社名について 】
子鍬倉(こくわくら)という社名は、日本全国で唯一のものです。
旧県社として稲倉魂命を祀り、衣食住の神として尊崇されています。
「子」は、養蚕の盛んな時代に蚕を“お子さん”と呼んだことから衣を意味し、「鍬」は農具であり食を意味し、「倉」は物品出納の場所である住を意味しています。
このように、当社名は「衣食住」を象徴し、神徳を表現した尊い名前です。
【 創建と由緒 】
当社は古く、平安時代の大同元年(806年)に創建されたと伝えられています。
また「延喜式」の神名帳に当神社の名前が記載され、由緒ある神社である「式内社」と呼ばれ、磐城七社の一つとされました。
かつては磐城四郡の総鎮守と称され、平城三社の一つとしても、歴代の平城主から厚い尊崇を受けていました。
【 江戸期の調査と復興 】
慶長7年(1602年)、鳥居忠政が磐城平城を築くにあたり当社の社地を狭められたため、荒廃してしまいました。
その後、磐城平藩主の内藤義概(1619-1685)の調査において、平桜町(現在の磐城桜が丘高内)の稲荷の小社の周囲から勾玉などが出土しました。
これをもって子鍬倉神社として比定され、復興に際して現在の揚土台に社殿を造営されたと伝えられます。
稲荷大明神とも称され、子鍬倉稲荷神社とも呼ばれる所以です。
【 県社の第一号 】
明治6年(1873年)3月に全国的に社格制度が実施され、その際、磐前県は当神社を県社の第一号に指定しました。
これにより、氏子民は地方神社の最高峰として、敬意を持って神社に参拝し、現在でも「県社」という愛称で親しまれています。
また、明治7年(1874年)には南正面の断崖を切り開いて現在の「男坂」を造り、大正10年(1921年)に現在の「女坂」が完成しました。

体験御朱印

Wikipediaからの引用

概要
子鍬倉神社(こくわくらじんじゃ)は、福島県いわき市平揚土にある神社。式内小社で、旧社格は県社。
歴史
歴史[編集] 社伝によれば、大同元年(806年)の草創と伝えられる。「延喜式内社」であり、式内社磐城七社の一つである。古くは磐城四郡(菊多郡、磐城郡、磐前郡、楢葉郡)の総鎮守と言われた。 平城守りの神「平城三社」の一つとして歴代の平城主より崇敬を受けた。 慶長6年(1602年)に磐城平城が築城により社地が狭められ、荒廃するが、文政9年(1826年)に桜町にあった稲荷小社を第4代平藩主・内藤義概が現在地に復興した。 明治6年(1873年)3月に「県社」に列格した。昭和21年近代社格制度廃止の後も「けんしゃ」の愛称で呼ばれている。 明治7年南正面の断崖を切り開いて「男坂」を造り、大正10年「...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] JR東日本常磐線・磐越東線「いわき駅」から西へ徒歩10分
引用元情報子鍬倉神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AD%90%E9%8D%AC%E5%80%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=76779899

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