おかもとじんじゃ・おおたきじんじゃ
岡太神社・大瀧神社福井県 武生駅
参拝自由
御朱印 | 2023年10月1日~ 1000セット限定の切り絵御朱印を頒布
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | - | 書き置きを和紙の里パピルス館にて頒布 | |
御朱印帳 | |||
駐車場 | 境内南東に駐車場あり(10 台) 大型バス可 |
大徳山山頂にある奥の院と、山のふもとに建つ下宮からなる神社。天保 14 年(1843)に再建された社殿は、国の重要文化財。岡太神社は全国で唯一、紙の女神様を祀る。
【越前國 式内社巡り】
大瀧神社・岡太神社(おおたき~・おかもと~)は、福井県越前市大滝町にある神社。旧社格は県社。祭神は、國常立尊、伊弉諾尊(大瀧神社)、川上御前(岡太大神)(岡太神社)。上社(奥の院)は大瀧・岡太両神社の本殿が別個に並立しているが、下社(里宮)は両神社の共有。大瀧神社本殿及び拝殿は、国指定の重要文化財。
伝承によると、大瀧神社の創建は奈良時代の719年、僧・泰澄が当地を訪れた際、国常立尊・伊弉諾尊を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒権現と称したのが大瀧神社の始まり。
また、岡太神社の創建は1500年前、岡本川上流に美しい姫が現れ村人に紙漉きの技術を伝えたため、この姫を「川上御前(和紙の神様・神祖神)」として祀ったのが始まりという。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「越前國 今立郡 岡本神社 小」の論社となっている。建武の新政期の1337年、足利軍の兵火で社殿を焼失したため、祭神を大瀧神社の相殿に祀った。また1575年の織田信長による一向一揆攻略の際、大瀧神社も社殿を焼失、再建時に岡太神社は摂社として境内に祀られた。
明治時代の神仏分離令により、神仏混淆は解消され「大瀧神社」となり、近代社格制度のもと県社に列格した。なお、「大瀧神社・岡太神社」と併記されるのは、大瀧神社の方が格上であるが、当地住民が崇拝して来たのは川上御前であったためであるとされる。
当社は、JR北陸本線・武生駅の東方8kmの山の西麓にある。境内は山の斜面の森の中で、斜面の高いところに大きな社殿が瑞垣に囲われて建っている、宮殿のような荘厳な造り。国重文の社殿も、拝殿と幣殿の屋根が折り重なるように構成される独特で優美なもの。一の鳥居が境内の500m西方にあることからしても、古くからの強い信仰があったものと思われる。非常に強いインパクトがある素晴らしい神社。
今回は、本殿及び拝殿が国重文であること、越前國の式内論社、福井県の旧県社であることから参拝すること。参拝時は休日の午後で、雨降りのあいにくの天気であったにもかかわらず、見掛けただけで十数組の参拝者が訪れていた。
当社境内の西方600mの県道上に突然現れる<社号標>。表記は「縣社 大瀧神社」。
少し進むと、もう一つ石標。1940年建立。表記は「岡太神社 大瀧神社」。
刻まれている文字は、五箇の紙をこよなく愛した横山大観の揮毫とのこと。
県道を跨いで立っている<一の鳥居>。扁額には「岡太神社」とある。
県道199号線は当社の参道なのかな。
一の鳥居から500m進んだ突き当りにある、境内入口の<二の鳥居>と<社号標>。
社号標の表記は「縣社 大瀧神社」。
真っ赤な<二の鳥居>の扁額の表記は「大瀧神社 岡太神社」。
鳥居の奥には、多くの巨木が天に向かってまっすぐに聳え、荘厳な雰囲気が漂っている。
参道左側の<狛犬>。骨太でがっちり体形の勇ましい姿。
参道右側の<狛犬>。
参道左側の大きな<手水舎>。
参道を進んで<社殿>方向を望む。小高い場所にある社殿は重厚感のある構え。
階段下から<中門>と神域全景。素晴らしく神聖な空気感。階段脇にはたくさんの奉納燈籠。
中門前左側の<狛犬>。ブロンズ製か?それとも青銅製か?
中門前右側の<狛犬>。
中門をくぐって、すぐ目の前にある<拝殿>。
拝殿は意外と横幅がないと思って左手に向かうと、建物は予想外に重層的な造り。
どうなってるのかな?(。´・ω・)???
<社殿>全景。拝殿と本殿が一体的で、折り重なるような屋根の造りが非常に美しい!
(o^―^o)
拝殿に向かって右手突き当りにある<神輿殿>。
拝殿に向かって左手突き当りにある<神楽殿>。
神楽殿の裏手、一段高い場所にある境内社2社。表札はなし。
福井県神社庁の当社のページによると「護国霊社」と「氏子祖霊社」かな。
境内社の位置から<社殿>を見ると、本殿の屋根と拝殿の屋根が複雑に重なっていることがよく分かる。
本殿の躯体には彫刻がたくさん施されている。
本殿の彫刻アップ。土砂降りのせいでクリアに見えないのが残念。涙
中門から下に降りて、脇に立ち並ぶ奉納燈籠群。
奉納燈籠の間に立つ<神馬>。
神馬の近くにある屋根付きの小さな社。
社殿の西側にある建物。十一面観音坐像が安置されているみたい。
(当日は有料展覧会をやっていて内観できず。)
当社の北西1kmほどの街中にある「越前和紙の里 パピルス館」。御朱印はこちら。(^▽^)/
伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒(おおちご)権現を建立したという。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった。
岡太神社については、約1500年前、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。この伝説の姫『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社である[1] 。延元2年(1337年)の足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の祭神を大瀧神社の相殿に祭った。さらに天正3年(1575年)、織田信長の一向一揆攻略の際、大瀧寺一山が兵火に遭い消失。再建時に大瀧神社の摂社として境内に祀られるようになった。
名称 | 岡太神社・大瀧神社 |
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読み方 | おかもとじんじゃ・おおたきじんじゃ |
通称 | 大瀧権現様 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 2023年10月1日~ 1000セット限定の切り絵御朱印を頒布
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限定御朱印 | あり |
御朱印帳に直書き | なし 書き置きを和紙の里パピルス館にて頒布 |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0778-42-1363(越前和紙の里) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.echizenwashi.jp/goddess_of_paper/ |
【公式】越前国府の御朱印・御首題巡り |
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ご祭神 | 大瀧神社:國常立尊・伊弉諾尊 岡太神社:川上御前(岡太大神) |
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ご神体 | 権現山 |
創建時代 | 不詳 |
本殿 | 三間社流造 |
文化財 | 本殿・拝殿(国重文) |
ご由緒 | 伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒(おおちご)権現を建立したという。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった。
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体験 | 仏像御朱印重要文化財祭り伝説 |
概要 | 大瀧神社・岡太神社(おおたきじんじゃ・おかもと-)は、福井県越前市大滝町にある神社である。上宮(奥の院)には大瀧・岡太両神社の本殿が並んで建つが、下宮(里宮)の本殿・拝殿は両神社の共有となっていることから、2つの神社の名前が併記される。国の重要文化財指定名称は「大滝神社」である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒(おおちご)権現を建立したという。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった[1]。 岡太神社については、約1500年前、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。この伝説の姫『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社である[1] 。延元2年(1337年)の足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の祭神を大瀧...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] ハピラインふくい武生駅から車で20分または福鉄バス和紙の里経由戸の口行乗車、終点 北陸自動車道武生インターチェンジから東へ約10分 |
引用元情報 | 「大瀧神社・岡太神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E7%80%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BB%E5%B2%A1%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99778861 |
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