御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
八剱八幡神社ではいただけません
広告

やつるぎはちまんじんじゃ

八剱八幡神社
千葉県 木更津駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

千葉県のおすすめ🎎

広告

おすすめの投稿

ナナ
2023年01月02日(月)
459投稿

あけましておめでとうございます🎍
今年ものんびり楽しみながら投稿して行きたいと思ってます☘️よろしくお願いします😊

今年最初の投稿は年末に参拝した木更津の神社さん⛩
すでに初詣の準備が整えられて、竹細工のうさぎ🐇が可愛いくお出迎えです。
大祓の茅の輪をくぐり、一年の感謝を伝えお参り👏
参拝者の方々も次から次にお参りに見えていました。

あ〜天気が良いって最高❗️
(久しぶりの日光浴、雪の心配も無いし)
お日様に感謝です❗️

「このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称した」日本武尊伝説縁の社として知られています。
尊が東征の際に相模よりこの地に船で渡ろうとした時、暴風雨により転覆寸前になり、そのときに妃橘姫(弟橘媛)が海の神の怒りを鎮めるため、尊の身代わりとなり入水し、尊は無事に着くことができたそうです。
尊は姫の死を悼んでしばらく当社に滞留になり、此の地を去らなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。

源頼朝が鎌倉幕府を開いた際には、神領を寄進し、社殿が造営されました。天正19(1591)年には、徳川家康より社領3石2斗を寄進され、御朱印の証を賜ったとされています。

ちょっと切ない日本武尊命と弟橘姫命の物語
こちらに来る間に、吾妻神社⛩さんのまえを通りましたが、弟橘姫命が御祭神と知らずお参り出来ず残念😓
八剱八幡神社さんで吾妻神社さんの書置き御朱印も拝受出来ます。

八剱八幡神社(千葉県)

鳥居⛩をくぐり駐車場です
となりにも広い駐車場ありました

八剱八幡神社(千葉県)

手水舎

八剱八幡神社(千葉県)

竹細工の縁起物の手水
綺麗ですね

八剱八幡神社(千葉県)

拝殿前には竹細工の大きなうさぎさん🐇
大祓の茅の輪も設置されています

八剱八幡神社の建物その他

凄く可愛いです。
もうお正月🎍気分ですね🎍

八剱八幡神社の狛犬

狛犬さん

八剱八幡神社(千葉県)

彫刻も綺麗です

八剱八幡神社の本殿
八剱八幡神社(千葉県)

摂社 祖神社
書置き御朱印ありました

八剱八幡神社(千葉県)

三社神社⛩

八剱八幡神社の末社
八剱八幡神社(千葉県)

関東一の大神輿
綺麗な金ピカの御神輿がありました

八剱八幡神社(千葉県)

源頼朝のお手植えのソテツ

八剱八幡神社(千葉県)

ソテツの中に小さな祠が

八剱八幡神社(千葉県)

ちょっと寄り道
チーバくんと記念撮影☘️

八剱八幡神社(千葉県)

直書きの御朱印と
月替わりの椿の御朱印、華やかで素敵☘️
他にも御朱印何種かありました。

もっと読む
投稿をもっと見る(55件)

歴史

社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。
人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。
源頼朝鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。
天正19年徳川家康公社領3石2斗を寄進せられ、御朱印の証を授与される。慶長17年大阪冬の陣が起こると木更津より多くの船頭が召出されて、向井忠勝、小浜光隆軍のもとで目覚しい働きをした。これも八剱八幡神社の霊験加護のたまものであるとして、特に当社の宮司らを駿府城内に招き、銅鳥1隻と銀子を贈り神恩に感謝した。
宝暦2年に木更津の大火に依り社殿焼失。安永2年に現社殿を再建。寛政9年に社殿修理を加える。大正3年に社殿の大改修をする。また、明治4年には郷社に列せられる。昭和55年の社殿改修に際しては、格天井装飾画(162枚)も復元され、現在は厄除・交通安全・初宮詣・七五三詣・商売繁盛・合格祈願・学業成就等の守護神として鎮座する。

歴史をもっと見る|
2

八剱八幡神社の基本情報

住所千葉県木更津市富士見1丁目6−15
行き方

JR内房線木更津駅下車西口徒歩3分
館山自動車道 木更津北IC木更津市街方面2キロ、木更津南IC木更津市街方面2キロ

アクセスを詳しく見る

千葉県のおすすめ🎎

広告
名称八剱八幡神社
読み方やつるぎはちまんじんじゃ
参拝時間

8:00〜17:00

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0438-23-8881
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.yaturugi.net/
おみくじあり
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神誉田別命(應神天皇)、素盞嗚命、日本武尊、息長足姫命(神功皇后)、足仲彦命(仲哀天皇)
文化財

徳川家康公寄進の銅鳥(指定文化財)
格天井装飾画(指定文化財)
五大力船(ごだいりきせん)絵馬(指定文化財)
嶺田楓江(みねだふうこう)寿碑(指定文化財)
平田篤胤短冊
平田篤胤書翰
大日本國東海道上總州圖
応永17年(1410)11月8日奉納の鐘(梵鐘銘の拓本)
永禄8年(1565)小弓城主・原上總介胤貞書翰
安永2年(1772)社殿再建の上棟の御槌(きづち)
寛政2年(1790)境界杭まで書かれた境内図

ご由緒

社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。
人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。
源頼朝鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。
天正19年徳川家康公社領3石2斗を寄進せられ、御朱印の証を授与される。慶長17年大阪冬の陣が起こると木更津より多くの船頭が召出されて、向井忠勝、小浜光隆軍のもとで目覚しい働きをした。これも八剱八幡神社の霊験加護のたまものであるとして、特に当社の宮司らを駿府城内に招き、銅鳥1隻と銀子を贈り神恩に感謝した。
宝暦2年に木更津の大火に依り社殿焼失。安永2年に現社殿を再建。寛政9年に社殿修理を加える。大正3年に社殿の大改修をする。また、明治4年には郷社に列せられる。昭和55年の社殿改修に際しては、格天井装飾画(162枚)も復元され、現在は厄除・交通安全・初宮詣・七五三詣・商売繁盛・合格祈願・学業成就等の守護神として鎮座する。

Wikipediaからの引用

概要
八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)は、千葉県木更津市富士見一丁目にある神社(八幡神社)。旧社格は郷社。
歴史
由緒[編集] 創建年代については不詳であるが、古くからある神社であり、源頼朝も社殿を寄進したという。神社には村上義清からの書状が残されている。
引用元情報八剱八幡神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%AB%E5%89%B1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99509704

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ