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高家神社ではいただけません
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たかべじんじゃ

高家神社
千葉県 千倉駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

境内前 15台ほど

高家神社について

料理の神様はここだけ!


日本で唯一の「料理の神様」がまつられた「高家神社」。いざというとき手料理を振る舞えるようなお料理上手を目指すなら、「料理上達御守」をもらっておきましょう。

味噌醤油の業者さんと調理関係者も集うところ


景行天皇にカツオとハマグリを調理・献上した料理人が祭神であり、料理関係者や味噌醤油などの醸造業者からの信仰を集めてきました。調理師免許の受験生も合格祈願に訪れます。

職人の神業?日本料理の伝統を伝える「庖丁式」


10月17日と11月23日に行われる「庖丁式」は、一切手を触れることなく包丁と箸でマダイなどをさばく厳粛な儀式。烏帽子・直垂を身にまとって平安の宮中行事を再現した所作と包丁さばきが見ものですよ。

千葉県のおすすめ3選🌸

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おすすめの投稿

ゆうかママ
2023年11月08日(水)
180投稿

房總三國神社御朱印めぐり、南房総市千倉の高家神社を参拝しました。
駐車場到着が16時40分頃、画像だとまるで青空ですが、実際は日がほとんど落ちて暗くなっていました。
社務所はまだ明かりが付いていてどなたかおられるようだったので、取り急ぎ参拝、社務所に戻ったら、私たちの後に来られたご夫婦?がおられて、どの御守りがよいか相談されていました。聞こえてきた話だと包丁を使うお仕事とか。
そう、この高家神社の御祭神・磐鹿六雁命は料理の神様ということで、年に3度、「包丁式」という儀式が執り行われているそうです。

私も参拝の時、「家族に美味しい料理をいっぱい作れますように」とお願いしました。

前の方終わられて、「遅くなってすみません、御朱印をお願いします。」と申し上げたら、「大丈夫ですよ。お詣りいただきありがとうございます。どちらからですか?」と本当に心優しい宮司さまでした。美麗な筆文字にまた感動。東金から外房を南下して1日目の最後に嬉しい参拝でした。

この日は房総半島最南端、野島崎のホテルに宿泊しました。完全に真っ暗で夕陽は拝めませんでしたので、2年前の画像を載せておきます。

高家神社(千葉県)

お書き入れで拝受しました。

高家神社(千葉県)

長めの石段です。

高家神社(千葉県)

拝殿に明かりが灯っていました。

高家神社(千葉県)

拝殿向かって右側の包丁塚

高家神社(千葉県)

拝殿向かって左側の包丁塚

高家神社(千葉県)

ホテルの窓から東側に野島崎灯台

高家神社の景色

西側、夕陽が沈んでいくところ。

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のびた
2023年06月21日(水)
134投稿

房総三國神社御朱印めぐり、安房國、高家神社、(南房総市)です。

日本で唯一「料理の神様」をお祭りする神社です。

千葉県最大の半島、房総半島の最南端に位置する南房総市内にあります。御祭神は天皇の祖人である天照大神(あまてらすおおみかみ)と、皇室の食事を司る磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)です。

第12代天皇・景行天皇が安房の国(現在の房総半島南部)へ行幸された際、同行した家臣の磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)は近くの海でカツオを釣り上げ、ハマグリも手に入れました。これらを調理して天皇に差し上げると、たいそうお喜びになり、併せて彼の調理の技を高く評価しました。

以後、磐鹿六雁命は皇室の食事を司るようになったのだそうです。高家神社で有名な祭事の1つに「庖丁式(ほうちょうしき)」があります。

これは平安時代から続く日本の宮中行事で、料理の師範が鯉や鰹などの魚を捌くという儀式です。

特筆すべき点は、捌く際に「食材には指一本触れない」ということ。右手に包丁、左手にまな箸(魚や鳥の調理で用いる、柄のついた長い箸)を持ち、雅楽の演奏に合わせ進行する儀式は、まるでショーを見ているかのようです。

高家神社(千葉県)
高家神社(千葉県)
高家神社(千葉県)
高家神社(千葉県)
高家神社の手水
高家神社(千葉県)
高家神社(千葉県)
高家神社(千葉県)
高家神社(千葉県)
高家神社の本殿
高家神社(千葉県)
高家神社(千葉県)
高家神社(千葉県)
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例祭・神事

2月 梅見会
5月17日 春季例祭・四條流千葉県支部たかべ社中 庖丁式奉納
10月17日 秋季例祭・四條眞流一門 庖丁式奉納(旧神嘗祭かんなめさい)
11月23日 新穀感謝祭・四條流石井派一門 庖丁式奉納(旧新嘗祭にいなめさい)
毎月17日 月次祭・庖丁供養祭

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歴史

「日本書紀」の第12代景行天皇53年冬10月の条に祭神・磐鹿六雁命について記されていますが、延暦8年(789)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文うじぶみ」にさらに詳細に記述されています。
 景行天皇が皇子日本武尊やまとたけるの東国平定の事績を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が、弓の弦つるをとり海に入れた所堅魚かつおを釣りあげ、また砂浜を歩いている時、足に触れたものを採ると白蛤しろうむぎ(=はまぐり)がとれました。磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を膾なますにして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部かしわでのおおともべを賜りました。
 この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳かしわでの職を継ぎ、もし世継ぎのないときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜りました。
 また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院ひしおつかさで醤油醸造・調味料の神として祀られています。醤には、野菜を発酵させた草醤くさびしお、穀物を発酵させた穀醤こくびしお、魚などを発酵させた肉醤にくびしおがあった。今でいう漬物・味噌醤油・塩辛の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁です。
 高家神社は延喜式神名帳に登載される小社の一つです。現在の所に祀られたのは江戸時代の初頭にさかのぼります。
 元和6年(1620)、現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から、木像と二面の御神鏡を発見し、社を建てて祀りました。
 200年余りの後、この鏡面に御食津神みけつかみ、磐鹿六雁命と記されていたことがわかり、当時所在があきらかではなかった高家神社の御神体であるとして、文政2年(1819)に京都吉田御所に証を願い、御幣帛ごへいはくをいただきました。神社拝殿内正面の御神号額はこの時のもので、神祇道管領卜部朝臣良長うらべあそんよしながの銘が刻まれています。
 江戸時代以降、醤油沿革史の著者・田中直太朗(金銚子)氏、料理法大全の石井治兵衞氏、さらには日本料理研究会初代理事長・三宅孤軒氏等の労により、祭神の御神徳が発揚され今日に到っています。

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高家神社の基本情報

住所千葉県南房総市千倉町南朝夷164
行き方

内房線千倉駅下車 約2km
千倉駅からはJRバス又はタクシーを利用 バス停「高家神社入口」を下車

富津館山道路 富浦I.Cより16km 約25分

アクセスを詳しく見る
名称高家神社
読み方たかべじんじゃ
参拝にかかる時間

15分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0470-44-5625
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://takabejinja.com/index.html
お守りあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》磐鹿六雁命,天照皇大神,稲荷大神
ご由緒

「日本書紀」の第12代景行天皇53年冬10月の条に祭神・磐鹿六雁命について記されていますが、延暦8年(789)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文うじぶみ」にさらに詳細に記述されています。
 景行天皇が皇子日本武尊やまとたけるの東国平定の事績を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が、弓の弦つるをとり海に入れた所堅魚かつおを釣りあげ、また砂浜を歩いている時、足に触れたものを採ると白蛤しろうむぎ(=はまぐり)がとれました。磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を膾なますにして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部かしわでのおおともべを賜りました。
 この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳かしわでの職を継ぎ、もし世継ぎのないときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜りました。
 また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院ひしおつかさで醤油醸造・調味料の神として祀られています。醤には、野菜を発酵させた草醤くさびしお、穀物を発酵させた穀醤こくびしお、魚などを発酵させた肉醤にくびしおがあった。今でいう漬物・味噌醤油・塩辛の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁です。
 高家神社は延喜式神名帳に登載される小社の一つです。現在の所に祀られたのは江戸時代の初頭にさかのぼります。
 元和6年(1620)、現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から、木像と二面の御神鏡を発見し、社を建てて祀りました。
 200年余りの後、この鏡面に御食津神みけつかみ、磐鹿六雁命と記されていたことがわかり、当時所在があきらかではなかった高家神社の御神体であるとして、文政2年(1819)に京都吉田御所に証を願い、御幣帛ごへいはくをいただきました。神社拝殿内正面の御神号額はこの時のもので、神祇道管領卜部朝臣良長うらべあそんよしながの銘が刻まれています。
 江戸時代以降、醤油沿革史の著者・田中直太朗(金銚子)氏、料理法大全の石井治兵衞氏、さらには日本料理研究会初代理事長・三宅孤軒氏等の労により、祭神の御神徳が発揚され今日に到っています。

体験祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三食事・カフェ御朱印お守り

Wikipediaからの引用

概要
高家神社(たかべじんじゃ)は、千葉県南房総市(旧千倉町)にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。「料理の祖神」を祀る神社として料理関係者や醤油醸造業者などから崇敬される。
歴史
歴史[編集] 当社の創建の由緒は不詳であるが、高家神社の由緒書では、磐鹿六雁命の子孫の高橋氏の一部の者が、祖神に縁のある安房国に移り住み氏神として祖神を祀ったのではないかとしている。延喜式神名帳に「安房国朝夷郡 高家神社」と記載されているが、後に衰退・廃絶したものと見られ、長らく所在は不明となっていた。 現在の高家神社の起源は江戸時代の初頭である。元和6年(1620年)、高木吉右衛門が桜の木の下から木像と2面の鏡を発見し、それを神体として「神明社」として神社を創建した。その約200年後、この鏡に「御食津神、磐鹿六雁命」と書かれていることがわかり、これは所在が不明であった高家神社の神体であ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報高家神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%AB%98%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=76274542

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