かいちょういん|曹洞宗|亀嶺山
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり
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海潮院について
知多四国巡礼道前半のハイライト。
もともと知多四国の54番札所は、美浜町野間の大御堂寺塔頭の龍松院にあった。この寺が廃仏毀釈により廃院となったため、野間の別の寺に移された後、明治32年に大師像を海潮院に仮安置、同34年11月正式に安置され、54番札所として承認された。
隣接する神前神社に登ると衣浦湾奥部の爽快な眺めを一望することができる。
(知多巡礼紀行より)
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知多四国八十八ヶ所巡りの14寺目は、番外札所の東光寺と同じく半田市に在る第54番札所の亀嶺山 海潮院です。先の番外札所の東光寺からほぼ東へ1km弱の所です。国道247号線沿いで、目と鼻の先に衣浦湾ですので近くにコンクリート堤防があります。
曹洞宗で、本尊は釈迦如来。
札番順ならば第12番札所となりますが、この第54番札所が近くにありましたので第12番札所の前に参拝しました。(第54番札所の寺院が変更になったため。)
文明年間(1469~87年)に安窓全公首座により芝岡宗田和尚を開山とし、北浦の地に海長庵を創建。大永年間(1521~28年)に亀崎城の初代城主となった稲生政勝が海長庵を菩提寺とした。その後の江戸時代初期に稲生政勝の2代後の稲生重政が現在地に移し、海潮院に改称したとの事です。
境内に数台駐車可能ですので停めさせて頂きました。山門はありませんが、例の黄色の卍印の看板が入口に掲げてあります。
左側に鐘楼、右側に手水、弘法堂。正面に本堂、本堂左側に境内社(金比羅、秋葉三尺坊、豊川稲荷)、本堂右側に庫裏・納経所です。
先ずは本堂で手を合わせてから本堂左側の境内社でも手を合わせました。続いて弘法堂。真ん中の厨子に弘法大師、右側に聖観音が祀られおり、両方に手を合わせました。最後に納経所で御朱印を頂きました。
御朱印
鐘楼
手水
本堂
境内社
弘法堂
庫裏・納経所
名称 | 海潮院 |
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読み方 | かいちょういん |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0569-28-0549 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
知多四国霊場 |
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詳細情報
ご本尊 | 釈迦牟尼仏 |
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山号 | 亀嶺山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 文明年間(1469~1487) |
開山・開基 | (開山)芝岡宗伝大和尚 (開基)安叟全公首座 |
ご由緒 | 文明年間(1469~1487)創建。当時は北浦にあり、海長庵と称した。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
Wikipediaからの引用
概要 | 海潮院(かいちょういん)は、愛知県半田市亀崎町1-130にある曹洞宗の寺院。山号は亀嶺山(きれいざん)。本尊は釈迦牟尼仏。知多四国霊場第54番札所。開基は安窓全公首座。開山は芝岡宗田大和尚。 |
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歴史 | 歴史[編集] 室町時代中期の文明年間(1469年 - 1487年)、安窓全公首座によって北浦に海長庵として創建された。草創開山には東浦の乾坤院から芝岡宗田大和尚が迎えられ、乾坤院の末寺となった。 戦国時代の大永年間(1521年 - 1527年)、伊勢国からやってきて亀崎領主となった稲生政勝が海長庵を菩提寺とした。江戸時代初期の元和元年(1615年)頃、稲生重政によって現在地に移されて海潮院に改称された。稲生重政の位牌や石塔は現存している。 江戸時代後期には荒廃したが、鉄柱苑石和尚が再興初祖となっている。1912年(大正元年)には、盲目だった東春日井郡水野村の加藤某が海潮院を訪れ、大師像の...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「海潮院」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B5%B7%E6%BD%AE%E9%99%A2&oldid=93418946 |
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